掛け軸

正一位 秋葉大権現 栖原氏一統

栖原家の初代角兵衛茂俊(しげとし)は、房総半島で良い漁場を開発し、二代目角兵衛の俊興(としおき)は、漁業で蓄積した資本をもとに、元禄時代初期に江戸鉄砲洲本湊(てっぽうずほんみなと)町で木材問屋を開業しました。

やがて元禄十三年に深川に木材置場(現在の木場(きば))を設けて紀州材はじめ各地の木材を取扱い、薪炭業にも着手しました。当時の江戸は百万の人口があったと言われており、暖房は炭(すみ)で採るより方法が無く、紀州藩や新宮水野家が所持している熊野地方の御用炭(備長炭(びんちょうたん))を取り扱うことになり、経営規模を拡張し、江戸一番の材木・薪炭の商人となりました。

この掛け軸は信州の材木を切りだす時、天竜川、大井川等を利用し、河口まで筏で運び、そこから江戸まで船で運びました。天竜川の中流に秋葉神社が有り、古来防火の神として信仰され、秋葉講は江戸時代、伊勢神宮の伊勢講と二分されるぐらい各地に分布しています。秋葉神社守護の為、隣に秋葉寺(しゅようじ)が有り、その寺に栖原家が何かを寄進した時に、頂いた掛け軸のようです。

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ふすまと比べるとその大きさがわかります。

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