関西小樽会ブログ

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小樽倉庫

寺島様は今迄のブログで寺島様の母方の曽祖父であられた松村幸右衛門やその松村幸右衛門の親戚の又十藤野家の記事等を数回にわたって、ご投稿いただきましたが、今回そのまとめとして「小樽倉庫」と題する記事を「月刊小樽学」よりご紹介くださいました。併せて、当時の北前船が各港に寄港する際、当時の税関にお見せする「印鑑」の実物(寺島家にて現在保管)もお借りできましたので、ご披露させて頂きます。小樽倉庫は西出孫左衛門や西谷昭八によって創設されましたが、彼らは、もともと、又十藤野家の物資を運ぶ船主でしたし、又、松村幸右衛門との取引もありました。

小樽倉庫はまさに近江商人と北前船の合作ともいえるとの視点から、小樽学の記事をご紹介頂いたものです

 又、酒の印鑑は日付けは明治15年になっていますが、江戸時代の名残で、明治になっても使われていたそうです。大きさは縦45cm、横71cmもある大きなものです。(管理人)

以下、寺島様のご投稿

 現在の石川県加賀市橋立町出身の西出孫左衛門とその姉婿である西谷庄八は、

明治23年に北海道初の営業倉庫小樽倉庫を設立し、明治26年2月1日に港町3-甲3にて開業し、この建物の建設をはじめ、翌年に竣工します。さらに明治28年8月7日に小樽倉庫株式会社として発起認可され、11月14日に農商務大臣榎本武揚によって設立認可されます。明治38年には第3代山本久右衛門に経営権を委譲しています。その後、山本厚三、山本信爾を経て、現在は第六代山本信彦氏が社長となって、小樽倉庫株式会社は、発展を続けています。ちなみに本社向かいの倉庫は、小樽ビールのレストランに貸与していますが、その倉庫は運河が完成した大正12年の翌年に建設されています。

西出孫左衛門

西出家は大聖寺藩(現・石川県加賀市)西出義門の分家で、十八世紀後半(寛永8~9年頃)から北前船交易をはじめ、函館まで進出しました。十一代孫左衛門の時代に、小樽に進出して明治23年に小樽倉庫を設立しています。西出はむしろ函館に代々縁が深く、函館山はかって「西出山」と呼ばれ、西出孫左衛門が所有していました。

西谷庄八

万延元年石川県江沼郡橋立村(現・加賀市橋立)生まれ。父庄八死亡後、襲名、明治22年に小樽に回漕店を開業。のちに西谷海運を創設し、小樽有数の海運業者となる。

山本久右衛門

安政3年新潟県三島郡大津村 (現・新潟県長岡市の一部)生まれ。旧名渡辺辰五郎。松前にわたり山本家の養嫡子となり、養父の死後久右衛門を襲名。明治38年小樽に移住。小樽倉庫の経営にあたる。

小樽倉庫の歴史的意義

1 北前船の意義

北前船は積み荷を運ぶだけではなく、「買い積み商法」言って寄港地ごとに仕入れと販売を繰り返して、雪だるま式に利益を得ます。

そのためには「どこの寄港地にどの荷がいつ」という情報をもとに、時期に適した寄港をするので、一つに寄港地にのんびりとしてはいられません。従って小樽のように需要と供給が多い地域には「蔵敷業務」といって、倉庫を建設し、そこを部下や関連の商人に任せて、完売を目指して売り捌きました。

2 営業倉庫の意義

小樽倉庫の発想の面白さは、小樽が有望な寄港地になることを予見して、自分たちの荷物だけではなく、他の北前船の荷も扱う「営業倉庫」としたことです。「これからはこの港に荷物がどんどん運ばれてくるだろう。しかも危険な北前船の時代でもなくなる。だから蔵敷業務の一環であった倉庫業務を独立させて、どの船で運ばれてきても保管できる営業倉庫にしよう。」といった先見の明が、小樽の倉庫業の先駆けとなったといえるでしょう。

「月刊 小樽学」より

terashima-2013-11-06

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この記事へのコメント

  • 西谷海運の名前はどこかで聞いたことがありましたがその創業の経過がわかり、大変面白く読ませていただきました。
    また、函館山が西出孫左衛門という個人の所有だったなんて、初めて知りました。面白いですね。