寺島さんは現在、柏原でブドウ園を経営をされておられ又、関西小樽会の常務理事をされておられ、そんな関係で小樽会の行事として、ぶどう狩りを楽しんだことも、皆様ご承知の通りです。寺島さんの先祖は北海道、樺太、択捉島等の開拓に深くかかわられ、北海道開拓神社の32柱の一人にもまつられています。 寺島家には北海道開拓時代の貴重な資料がたくさん残されていますが、この度、当方の依頼に、お忙しい時間を割いて当時に関する原稿を作成頂きましたので、以下、数回に分けて披露させて頂きます。
管理人
この挨拶文書は私の生家の利尻島に在ったものです。松村幸右衛門は私の母方の曽祖父で江戸時代より蝦夷地松前で店印を又一 (またいち)、屋号を布屋と称し、呉服商と酢商を手広く営み、資本を蓄積し、鰊漁業に進出し、利尻島を本拠に、礼文、枝幸、宗谷、留萌等に漁場を持ち、豪商と謳われた人です。 函館戦争の折、榎本軍により松前の屋敷が焼かれ、又、その後の大火で焼け出され、本店を小樽に移し(その時の建物が、現在小樽市の歴史的建造物として残っております。現在の所有者は小黒さんという方です)、西谷回漕店との取引関係での挨拶状のようです。西谷家のものはあまり残っていないそうです。
註 : 布屋の店印は又一と書きましたが、正しくは又のすぐ下に一を書きます。字ではなく、店印であるため、パソコンでは表現できませんでした。(管理人)