マッサンご愛顧の小樽の喫茶店

 E高橋さんの「マッサン」関連記事2つを楽しく読みました。その中にマッサンことニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝さんがよく小樽の喫茶店「米華堂」で看板商品のアップルパイを食べ、お土産にそれを持ち帰り妻のリタさんと食べたのではとのお話があり驚きました。
実は同店の創業者八木清さんと私の父は親交があり、父は家でもよく八木さんの噂をしていました。大変ハイカラな方で、昭和3年に喫茶店を開業する時店の名前を英語のベーカー(パン屋)とフランス語のガトー(菓子)を巧みに合成して「ベーカドー」としたと聞いていました。そのような方ですから当時西洋の製菓・製パン技術を研究し、独特の美味しいアップルパイを創りマッサンにも気に入れられたのではないでしょうか。
戦争中と思いますが八木清さんはお亡くなりになりました。その後は奥様が店を切り盛りされていたようです。中1のころ一度父に連れられ米華堂さんに行き厨房で奥様からホットココアをご馳走になったことがあります。
また昭和22年の冬休み中、後に2代目店主となった息子さんの八木清昭さん(潮陵45期、当時長橋中学3年生)が早川商店でアルバイトをしていました。昼ご飯はいつもわれわれ家族と一緒に食べました。長中の1年先輩であり、礼儀正しい人でした。
あれから65年も経った2012年に私が小樽へ行った時ふと八木清昭さんに会ってみたいと思い米華堂を訪れました。店の方に訳を話すと、奥様の光子さんが出てこられて開口一番「お父さんにそっくりですね」と云われました。光子さんの話によるとご主人の清昭さんはすでに亡くなられ、息子さんが3代目となり活躍中で、その時は神戸にケーキ作りの研修に行っているとのことでした。
小樽にはいろいろな銘菓がありましたが、廃業や倒産で消滅したところもあります。その中にあって米華堂の3代目店主は立派なパティシェに成長しており
,小樽の代表的銘菓を創り出していくことでしょう。なお以前米華堂はスポーツ用品店「アジア商会」の右隣りにありましたが、現在は向い側(佐々木銃砲店の向いあたり?)に移転しています。皆様も小樽訪問の際は米華堂でお茶とケーキをお楽しみください。 sugarlover

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 1:読み込むほどに、昔の小樽に引き込まれ、歴史を感じます。マッサンが小樽と一層深くかかわっていたことがわかり、うれしく感じました。
    2:私は晩酌は、ウイスキーはニッカの8年物、ビールはサッポロビール、酒は白鶴と決めていますが、本記事を読み、マッサンがますます身近に感じられ、晩酌が一層おいしく感じられそうです。
    3:私は在樽中は喫茶店は、「あまとう」が中心でしたが、今度小樽へ行ったら、是非「米華堂」へ行ってみたいと楽しみにしております。

  • マッサン いよいよ余市編になりますね。
    昨年8月に余市のニッカに寄ったときは 観光客もまばらでしたがやはりテレビの力はすごいですね。
    私は山田町にすんでいましたので米華堂さんは通り道で4~5回行きましたがこじんまりした良いお店です。
    2月5日からゆきあかりの作業に行きますので寄ってみます。私が居たころ花園銀座通り(皆さん花銀と言ってます)にさくらが植えられ とてもきれいですよ。60年前は歩くにも苦労するほどの混雑だったそうですが今は5分ほどの道で誰一人会わないときがあります。それに代わり今は堺町通りが観光のお客様で賑わっています。
    栄枯盛衰を感じる町ですが 歴史とロマンも感じられる町ですので ゆっくり滞在していただきたいと思います