ネコのダン 手宮洞窟に行ってきました

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 6月下旬、小学校のクラス会、中学校・高校の同期会に参加するために小樽へ行ってきました。 その時、暫しの暇を見つけて「手宮洞窟」を訪ねました。 私は子供の頃から就職で関西にくるまで手宮で過したので、手宮界隈、特に 「手宮洞窟」 はことのほか懐かしい場所です。 国の史跡に指定されたのが大正10年といいますから、私が子供の頃は既に史跡になっていたのでしょうが、当時は小さな庇の屋根の下の岩面に金網が張ってあるだけのもので、車道のすぐ脇で土ぼこりをかぶっていた記憶があります。 名称も今の手宮洞窟でなく 「手宮の古代文字」 と呼んでいたと思います。カラオケの定番「小樽の人よ」 に歌われている古代文字です。

 今回訪れてみて、立派な保存館になっていることに驚くと共にその歴史的価値を改めて認識させられました。 保存館の中は明かりも乏しく、いわゆる古代文字と、その後に見つかった小さな洞窟があるばかりのものでした。 子供の頃に古代「文字」とばかり思っていたのが実はシャーマンを表現した陰刻画で、4~5世紀頃、北東アジアから日本海を挟んだ地域に住んでいた続縄文人との共通点のあることも知りました。 当時の人の祈りのための踊りの姿を刻陰画として残したもので文字ではなかったということです。

 洞窟の中は暗闇で、フラッシュでの撮影は禁止とのことでしたので、上述の陰刻画は手宮洞窟保存館のパンフレットからコピーしました。 下の図がその陰刻画です。

手宮洞窟

 確かに人間が斧か何かを持って踊っている図の様ですね。 つまり 「小樽の人よ」 の歌詞は誤っていたということでしょうか。 多分歌の方は 「古代の文字よ・・・」 で歌われ続けると思いますが。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 私も子供の頃、古代文字を見に何回か行きましたが、当時は梅源線のバスもなく、長橋から歩いていきましたが
    大変遠く、特に手宮駅から現地までは家もなく、長く感じたことを思い出します。(実際には大した距離ではなかったのに)
     確かに、金網が張ってあり、埃っぽくて、あまりよくわからなかった記憶があります。
    懐かしい想い出です。