最近読んだ村上春樹のエッセイから思い出したことがあります。
だいぶ前の話ですが、仕事でアルジェリアへ行った時のことです。
この仕事とは、工場建設の場所を決めるもので、アルジェリア政府の担当者とこちらは当方ともう一人、それに現地のドライバーの4名で、黒塗りの古いシトロエンの乗用車で、国内各所をめぐるものでした。
アルジェリアはフランスの植民地であったことから、道路は3車線で中央の車線は追い抜き専用となっており、追い抜きの際は対向車が向かってくるのを車のアクセル性能を信じて踏み込み正面衝突を避けるものでした。
国内旅行は、広大なサハラ砂漠には行かず沿岸部が多かったのですが、一度、この町はサハラ砂漠が始まる隊商が整える町とのことで、そこで一泊することになり、非常に古いホテルで、名前だけは立派な“ホテル・グランデ”に泊まり、チェックインの後、2階へは鳥籠のようなエレベーターで上がって部屋に入ったのですが、部屋は素晴らしく大きく真ん中に鉄足のベットがあるだけでした。だいぶして、同僚の者が部屋へやってきて、3階の部屋へ行こうとしてたが鳥籠エレベーターが途中で止まり大声で人を読んで何とか部屋へ入ることができたと。
こんなホテルで朝、顔を洗おうとしたら、部屋には洗面所はなく唯、水が入った琺瑯引きの楕円形の容器が置いてあり、これで顔を洗うのかと思ったその時に、これはビデの容器ではないかと思い付き難を逃れたのですが、次に共通のトイレへいったところ、洋風トイレで数人の前のものがうず高くなっていて、流そうとしても水は一滴も出ず、何とか用を足そうと革靴でトイレの縁に上りましたが、滑って山の中に突っ込みそうで、何とも用をたすことができませんでした。
ところで、村上春樹ですが、彼のエッセイの中で「荒野の果てにあるモンゴル軍国境警備隊宿舎に泊めてもらったときのこと。ここの便所(と言うか糞溜め)、これは以前のギリシャの小さな修道院の便所を凌駕して臭く汚く、使用人数も多いため、池のようになっていて、踏板に乗って用を足すのが、どうしても出来なかった」と書いている。
このエッセイを読んで上のような事を思い出して書いてみましたが、はなはだ美しくない話題で申し訳ありません。
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未開発国で活躍されてきた日本人のご苦労が偲ばれるお話ですね。