春の岸和田お花見イベント(4月5日)

例年のお花見のご案内を事務局からいただいた。江戸時代初期から城下町として栄えてきた岸和田城のお花見とお城の見学、更には名高いだんじり祭りに関する会館見学等をガイドさんの案内により行うとの内容であった。桜は想定外の気象変動により内心あきらめていたが、私はこの企画に大変興味を抱き参加した。

半世紀以上関西に住んでいるが、はじめて南海本線の電車に乗り岸和田駅に降り立った。途中南海沿線の車窓から、はからずも満開の桜を所々で見ることができお城の桜もひょっとしたらとの期待感を抱いた。

10時集合より早めに岸和田駅に着いたので駅近くを散策した。素晴らしく立派な駅であり、また街並みも人口20万人の地方都市にふさわしい賑わいと明るく清楚な雰囲気が感じられた。南海電鉄の駅周辺が岸和田の中心地であることも読み取れた。

参加者は22名で、うち男性は12人であった。昨年の出雲大社の旅行で知り合った人が半数ほどおり気安く話ができた。

ガイドは観光案内専門の岸和田に住む藤波さんで、阪神の藤波投手とは親戚とのことである。一行はだんじり曳行の駅前通商店街を経て紀州街道を通りだんじり会館へ向かった。

途中有名なデザイナーのコシノ3姉妹の実家(空き家)があり紹介された。3姉妹の中でもコシノジュンコは大活躍し文化奨励賞を受賞している。紀州の殿様が参勤交代等で通った紀州街道の雰囲気は旧時を彷彿させた。城郭や社寺仏閣のある岸和田は和泉の国を治める重要な役割を果たしていた様子が偲ばれた。

荒っぽいだんじり祭りのイメージから受ける岸和田に対する印象がいっぺんに変わった。海と山に接する静かでおもむきのある城下町である。

 

岸和田の歴史概略

  1. 譜代大名の松平康重(徳川家)が元和5年(1619)城主となり城下町が整備された。
  2. 岡部宣勝が寛永17年(1640)岸和田藩主となる。以後岡部氏13代までの約230年の間岡部氏が治めた。
  3. だんじり祭りは元禄16(1703)年に始まった。
  4. 文政10年(1827)天守閣が雷火により焼失。
  5. 明治4年(1871)岸和田城廃城
  6. 大正から昭和にかけて泉州綿織物工業都市として栄えた。農業、漁業も大阪府では堺市に次いで盛んである。
  7. 明治22年(1889)に岸和田町、大正13年(1922)に岸和田市となる。
  8. 昭和29年(1954)天守閣再建。

 

だんじり会館

南海線岸和田駅から城下町特有の地名や、特に紀州街道沿いの情緒ある風情を楽しんでいるうちにだんじり会館に到着した。4階建てのきれいな建物であった。

藤波さんの案内に従って映像や展示物を見、詳細な説明を聞いた。

  1. まず大型マルチスクリーンによる「だんじり祭りハイライト」の上映を観た。
  2. 更に、だんじりの頂上目線で撮影された3D映像を偏光眼鏡をかけて鑑賞した。とても迫力があった。
  3. 江戸時代からの各種資料、だんじりの実物やそれに取り付けられている彫り物などを見た。腕のいい職人の制作による彫り物は見事な芸術作品に仕上がっており大変感激した。
  4. だんじり祭りの概要

・元禄16年(1703)当時の岸和田藩主3代岡部長泰が五穀豊穣を祈願して行ったとの説である。

・関西ではだんじり(地車)、関東では山車(だし)と呼ぶ。

・現在、毎年9月に2日間行われる。

・だんじりは総欅(けやき)造りで前方に100mほどの2本の綱を付け、500人ほどで曳行する。

・曳き綱の付け根を持つ2人の綱本(非常に重要)がラインと速度を決め、屋根上の大工方が指示を出す。大工方は主屋根に1人,後屋根に3人ほどが乗り前方の進路を監視して団扇を使って後梃子に指示をだす。

・比較的道幅の狭い紀州街道では、速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまはし」が醍醐味で曳行コースの曲がり角は観る者にとっては、はらはらする。この様子を昭和の終わり頃からテレビで紹介されるようになり、全国的に知れ渡った。このような例は、私の田舎、信州下諏訪の諏訪大社御柱祭の木落し場面も同様である。

・地域に基づく「町会」組織があり、各町会併せて40から50のだんじりを所有している。

・町会の祭礼団体から「曳行責任者」が選出される。町会長は全体の責任者たる「総括責任者」となる。事故が起きた場合はこの二人が刑事責任を問われる。

・だんじりの高さ、長さはいずれも約4mで、 重さは約4トン。

・新調時の価格は、1億5千万円前後(2017年の実績)。

約1時間、藤波さんの要領を得た説明により皆ガッテンであった。だんじり祭りの知識はほとんどゼロであったが、知るほどに地域の人々にとってはなくてはならない自慢の祭りであることが理解できた。

丁度良い時間となり、左手に岸和田城を臨みながら5分ほどの所にある「がんこ岸和田五風荘」に向かった。

 

がんこ岸和田五風荘

五風荘は、旧岸和田城内の新御茶屋跡に昭和4年に造営された広壮な回遊式日本庭園である。約2500坪の敷地に三つの茶室や食事を楽しめる館がある。正門は岸和田にゆかりの深い楠木正成の「楠」の字をもじって「南木門」と称せられている。市指定文化財であり市が所有していたが手放し、近年がんこフードサービス㈱が所有した。 

手入れの行き届いた雰囲気のある庭園を眺め、歓談しながらおいしく昼食をいただいた。

集合写真を撮ったのち、五風荘から目と鼻の先にある「岸和田城」(別名:千亀利城)に向かった。

 

岸和田城

  1. )岸和田城の沿革
    ①岸和田城は建武元年(1334)和田高家が「岸の城」を築城したのが始
       まりで、その後現在地に移築。
    ②応永15年(1408)細川頼長、明応9年(1500)畠山尚順、天正5
     年(1577)織田信長の家臣津田信張,天正11年(1583)羽柴
     秀吉の家臣中村一氏。
    ③慶長2年(1592)岸和田城の天守閣を竣工。
    ④元和5年(1619)松平康重が 城主となり総構えと城下町整備。
    ⑤寛永17年(1640)岡部宣勝城主。以後、岡部氏13代まで230年続
     いた。
    ⑥文政10年(1827)天守閣が落雷のため焼失。再建されず。
    ⑦明治4年(1871)廃藩置県により廃城。城主岡部長職は東京に居
     住。
    ⑧昭和29年(1954)現在の連結式望楼型3重の復興天守再建。
    ⑨昭和44年(1969) 城門、櫓など復興再建。
    ⑩平成4(1992)天守閣屋根の葺き替え、外壁塗り替えなど改修工
     事。
    2)岸和田藩主岡部氏
      ①岡部家はもと駿河の国(静岡県)の武士であったがのちに徳川家康
       の家臣となった。
      ②下総国山崎,丹波国亀山、福知山、美濃国大垣城主を歴任し、譜代
       大名としての地位を確立した。
      ③岸和田藩初代藩士岡部宣勝は大垣城主,竜野藩主、高槻藩主を経て
       寛永17年(1640)岸和田藩氏となった。
      ④石高は5万3千石である。
    3)岡部藩士の役割
      ①和泉の国の岸和田は天下の台所大阪に近く、大阪湾岸の南の防衛線
       として非常に重要な地であった。
      ②大阪側の守備に重点を置くかたわら紀州藩の動向を監視するためで
       もあった。尼崎藩とともに岸和田藩は大阪防衛の役目を担ってお
       り、参勤交代でも岸和田藩主と尼崎藩主がともに国元に不在となら
       ないように配慮されていた。
    4) 岸和田城見学
       ①鉄琴コンクリート三層の天守閣に常設されている出品物を見学
       した。岡部家の菩提寺泉光寺(岸和田)所蔵の岸和田城図、年代記、
       各藩主像、甲冑等興味深かった。
      ②天守閣最上階からの眺望は西に大阪湾、東には広大な住宅地、農
       地と更に奈良、和歌山に至る雄大な山並みのパノラマを楽しむこと
       ができた。
    5)岸和田城庭園(八陣の庭)
      ①昭和28年に重森三玲によって設計,作庭された。この庭園は、
      「大将」の石組みを中心に、その周囲に8つの石組みが配置されてい
      る。これは中国三国志の英雄として名高い諸葛孔明の「八陣法」を
      イメージして設計された。「大将」を表す石組みを配置し、大将を守
      るように「天」「地」「風」「雲」「竜」「虎」「鳥」「蛇」の各陣
      を8組の石組みで表現している。
     ②絵になる素晴らしい景色である。

解散

予定通り3時過ぎに岸和田で解散した。
帰りに有志7人がなんばに立ち寄りビールとワインで疲れを癒やし、雑談に花を咲かせた。
雑談は絆を深めるためには欠かせない先人からの素晴らしい贈り物である。

あとがき

とても良い企画であり楽しく有意義でした。今後もいろいろな企画があると思われますが、好んで挑戦し新たな体験、発見、知見を得て明日へのエネルギーにしたいものです。

私は、事情により会員ではありませんが、青春時代を札幌で過ごし小樽の街が好きでよく足を運んだ者として小樽会の行事には参加したいと思っています。よろしくお願いします。

ありがとうございました。

 

岸和田駅で待ち合わせ

 

コシノ3姉妹の実家 

 

だんじり

 

寺町界隈散策

 

がんこ岸和田五風荘

 食事の様子

ランチ

 

五風荘でお城をバックに記念撮影

お濠越しの岸和田城

 

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 夕方までに帰らなければいけないことになり、岸和田城はパスしました。終了後の雑談に参加できず残念です。山田さんは数多くの会に入っておられるので小樽会の会員ではありませんが、催し物には参加していただいています。ありがとうございます。秋の旅行(行先未定ですが)もぜひご一緒に!

  • ガイドの藤波さんと地元の宮内さんの地元愛というか、だんじり愛というか
    熱烈なものを感じましたね。これは祭りの連帯感で連綿と積み重ねられたもので
    後から移住した人にはなかなか難しい環境でもあるようです。
    とはいえ、一度生でだんじり祭りを見たいと思いました。がっちょを煮て食べるという
    新しい情報ももらいましたし、ぜひ再訪したいです。  藤田