小樽が生んだ画家、中村善策

私は、十数年前、不思議な事に何を思ったか急に絵を描きたくなった。堂島の朝日新聞ビルにあるアサヒカルチャーセンターの「絵画教室」に入りました。当時、勤務が大阪市内であったのと曜日、時間を考え、たまたま選んだのが栗林先生の教室でした。先生は、5年ほど前亡くなりましたが、日展会友、一水会常務理事で、水彩では日本でも指折りの実力の方でしたが、常々「今の僕があるのは、一水会の重鎮、中村善策(主に油彩の風景画)という偉い人に認めてもらったからだ。」と言っていました。それで「中村善策」(1901~1983)という画家の名前を知り、調べてみると小樽出身で一水会運営委員、日展参事という偉大な画家であるということだったので、興味を抱き、画集を購入したり、小樽に行った折に市立美術館で作品を鑑賞したりするようになった。

「一水会」とは、有島生馬(武郎の実弟)、安井曽太郎、石井柏亭、山下新太郎ら錚々たるメンバーによって昭和11年結成され、この公募展に入選することが画家として一流への登竜門となっており、現在も多くの日展画家をはじめ有名な画家が加入しており年1回公募展を開いている洋画(油彩、水彩)の大きな絵画団体である。

善策画伯は、この第1回展に小樽港に取材した「けむり」を出品し、ただちに昭和洋画奨励賞を受賞し直ちに会員に推挙されました。縦長の構図で。タグボートから立ち上がるけむり、建物の稜線など連続する垂直の線で奥行きが作られ、明暗のコントラストと佇む少女の後姿で、詩的な印象が加えられていると評される作品である。画聖、近代洋画の父とうたわれた安井曽太郎が絶賛した作品で、以降善策は安井の薫陶を受け、写実画家としての地位を高めていく。善作の写実画への思い入れは「写実とは自然そのままを引き写すのではなく、画面上に自然と同じ価値のものを実現することであり、明確に自然を主観によって再構築することである。」という言葉に表されている。

われわれの母校の学長室に「緑丘回想」という小樽商大の古いキャンバスを描いた50号(?)大きな作品が掲げられていると聞いていたが、先年100周年の折、公開され、目の当たりにして自分の学んだ学舎への郷愁と善策画伯の絵の迫力に大きな感動を受けた。この絵は50周年の折、緑丘会(小樽商大OB会)が画伯に依頼して母校を描いてもらい、寄贈したものと聞いている。もちろんこの母校の絵の全景は、画伯がその当時の商大を見ながらも絵としては戦前の高商時代の姿を表現しているように思う。

画伯は、主に小樽、他の道内各所、信州等を画題にしてたくさんの絵画を残していますが、ほとんどの絵は現場で描き、アトリエでは仕上げだけを描いたと伝えられている。

死後、遺族の方から小樽市に油彩画をはじめとして約300点が寄贈され、小樽市立美術館に中村善策記念ホールが設けられ、常時20点前後展示しながら訪れる人々の目を楽しませてくれています。

張碓のカムイコタン

張碓のカムイコタン

小樽港

小樽港

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 私も昨年春に常設展をみてきました。
    運よく館長さんにご案内をいただいたのですが初めて中村さんの作品を生で観て、びっくりしました。特に最後に紹介されている「小樽港」という絵は急な坂道の途中で体を斜めにして自分が立っているような臨場感があるせいでだんだん体が不安定になるような、めまいがしてくるような感じがします。そうおっしゃる方が結構いますと館長は笑ってました。
    3枚目の「小樽風景」はセザンヌ?と思うような色遣いで、どの作品もとても興味深いものでした。1時間の予定でしたが、時間が全然足りなかったのでまたぜひいきたいと思っています。

  • 「写実とは明確に自然を主観によって再構築することである」とは良い言葉ですね。だから、見る人の心に響くのでしょうね。
    今度小樽へ行ったら、行ってみたいと思います。