小樽と周辺地域の歴史年表です。
歴史「コラム」のため、歴史研究ではなく大まかなもとと捉えていただけると嬉しいです。
正確な歴史は小樽市史に載っていますが、個人的にまだ確認していません。
また、古代は諸説あります。
古代は資料が少ないため、本州の日本史や外国と小樽の関係あるかを書きました。
まずはアップして、つどつど更新していく予定です、
◎年表〜古代(平安時代、武士政権以前まで。)
・26000年前?
日本列島ができる
アムール人がシベリアのアムール川から流れて北海道に土着か。
・16000年前?
縄文時代が始まる
・2000年〜1500年前
フゴッペ洞窟、手宮洞窟に壁画が描かれる。
アムール川周辺壁画と類似
フゴッペ洞窟、手宮洞窟に壁画が描かれるのが小樽の歴史の最古と思われ、シベリアのアムール川周辺壁画と類似と言うことは、日本列島ができ、 アムール川周辺から人類が移動してきたと思われる。
・紀元前3世紀〜7世紀続縄文時代
江別土器が作られる。
・この頃
鉄器文化や律令時代文化が道内に伝わる
北海道に住んでいた古代人が、東北〜仙台へ移動か交易し、文化を持ち帰る。
・続縄文時代中期
元江別1遺跡
碧玉などが出土し、ヤマト王権との関連性が確認された。
・7世紀〜13世紀
擦文時代が始まる
・645年
大化の改新
天皇中心の国家へ。
・658〜660年
阿倍比羅夫、 粛慎(みしはせ?)と交戦。
「後方羊蹄」の地に郡代をおき、
地域を後志国と、山を後方羊蹄(しりべし)山と名付ける。
現在の地と地域が同じか不明。
(余市、札幌、江別など複数説あり。)
粛慎(みしはせ?)は読み方も正確に定まっていない民族で、蝦夷(えみし)説、アムール川周辺からやってきたツングース系民族など諸説あり不明。
・701年
大宝律令
国号を日本とし、律令国家へ。
・710年
聖武天皇が平城京に遷都し奈良時代が始まる
・794年
桓武天皇が平安京に遷都し、平安時代が始まる
・801年
征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)岩手県に胆沢城を築く。
蝦夷(えみし)は関東以北〜北海道に住んでいたと考えられている民族。
アイヌとの関係は不明。
・8世紀〜9世紀
茂漁(もいざり)古墳群(柏木東遺跡)
恵庭市
鉄環、和同開珎を副葬品にする文化があり、本州との繋がりがあった。
和歌山に多いが、関西以外ではあまり流通していない。
・8世紀〜9世紀
江別古墳群
律令政権の強い影響下にあった。
基本的に石狩川を使って移動していると思われるため、恵庭や江別が律令政権の影響下にあるならば、小樽もそうと考えるのが自然。