連日猛暑が続き新聞TVでは、家の中にいても熱中症になるので、家の者からひんぱんに水を飲むよう言われている。かって水商売に関わったこともあり水のことを思い出してみた。
昔の話で恐縮だが子供の頃の海水浴は、もっぱら熊碓海岸であった。勿論バスは通っていないので往復徒歩である。行きは平磯トンネルを抜け、帰りは銀鱗荘の前庭で休んだりした。記憶によれば、当時浜ではコップ一杯の水を10円で売っていた。帰り道の築港駅前には、駅員さんが好意で穴をあけた鉄管に水道水を流していたので、口に含み一息つくことができた。いまの時代なら水道水の出しっぱなしは許されないであろう。
私より干支で一回り上の尊敬すべき先輩は、70歳で「初歩から学ぶ水処理技術」を出版し、80歳を超えて改訂版を出した。その本の中に「小学校の遠足と言えばスイゲンチに決まっていた」との記述がある。遠足では芝生で弁当を食べていたので、貯水池から流れる10段の階段式溢流路すなわち「水すだれ」しか見ていない。取水塔のある貯水池は、昭和61年小樽で水道関係の全国大会があった時、水道局員の案内で始めて見ることができた。これに似ているが鳥取砂丘は何回も見ているが、砂丘から日本海を眺めたことがない。機会があれば是非見たいものだ。
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私も子供の頃、熊碓海岸で遊びました。
築港から熊碓へは汽車のトンネルの中を歩きました。
線路に耳を当て、汽車が近づいている音がしないことを確かめてからトンネルに入ったものでした。
熊碓では、背の届くところで、結構、がんぜがとれました。でも「えんかま」という深みがあり、おぼれかけたことも有りました。
当時は、海水パンツなどというものはなく、ふんどしでした。確か、もっこふんどしと言ったと思います。
プールで水泳教室へ通っている子供たちを見ると、改めて、恵まれすぎだなあと思います。