いささか旧聞になってしまいましたが、2月10日(土)小樽市立緑小学校の「閉校式」が行われ、昭和32年卒の私も出席してきました。
最上小学校、入船小学校、緑小学校の三校は、この4月から「「山の手小学校」として新たに歩き始めます。
緑小学校は、大正9年緑尋常小学校として開校。97年の歴史に終止符を打ちました。
私の母校は、東山中学がまず閉校し、今年の4月から緑陵高校が工業高校と合併して「北海道小樽未来創造高校」となります。小樽における3つの母校はすべてなくなってしまいました。若年人口の激減でこれも致し方ないのでしょう。新しい学校が古い伝統の上に新しい文化を築き上げて行かれることを祈ります。
当日夜は、ニュー三幸で「惜別の会」が催され100人以上の参加者がありました。私の隣は、作家の京極夏彦氏で、なぜか多くの女性ファンが著書にサインをお願いしていました。
写真は、挨拶する森井市長と、良く通る大きな明るい声で朗読、合唱をする児童たちが印象的でした。
終わり
コメント
コメント一覧 (6件)
京極さん、今は知りませんがデビューのころはすごいイケメンでしたよ。
サングラスとったらどんな感じかなあと思ってましたが。
小樽出身とは知りませんでした。私もサイン欲しいです~!
京極さん、こだわり風和服にマフラー。濃い顔の方でした。仲良しの同級生が何人かご一緒でした。お付きの方も。写真撮っておくのだった。
学んだ学校がなくなるのは寂しいものですね。
私も昨年、小学校、中学校、高校を尋ねましたが、いずれも閉校していました。
特に、中学校の跡地に親父作詞の校歌の記念碑が雑草に埋もれて残っていたのに
涙しました。
緑小学校がいよいよ97年の歴史を閉じるのですね。私の兄弟6人も同校にお世話になり、手島会長と小・中・高と共に学んだ私の弟(故人)は次男坊が緑小の5・6年の時2年間PTA会長を務めました。
緑小は環境抜群の場所にあると思いますが、山の手小学校の校舎はもっと天狗山の近くにでもできたのでしょうか。いずれにせよ新小学校は3校の伝統の上にも新たな時代に向かって発展して行くことでしよう。
山の手小学校は、元緑小学校の少し天狗山寄りです。昔、沼か池のような水溜りのあったところです。本当は「緑小学校」でという声もあったようですが、他の2校に配慮してこの名前になったそうです。
山の手小学校の場所は想像がつきます。緑小の裏手を2/3百m川沿いに上ったところに大きな池がありました。子供の頃は冬には氷が張りその上でスケートが出来ました。昭和17年の2月頃ここで「氷上カーニバル」が行われ、小2の私は親に連れられて見に行った記憶があります。戦時中でしたがこの月シンガポールが陥落し、祝勝気分で湧いていました。稲田悦子というフィギュアスケーターが日本代表でオリンピックに出場し、ヒトラーと握手したというので人気を博しました。それに往時の小樽は商業のみならず文化、芸術ほかあらゆる分野で活況を呈していたのですね。今は夢物語みたいですね。