小樽・人との縁

私は小樽花園町花園小学校正門前の家で生まれました。

生後3年間と菁園(薗?)中学に2カ月ほど在学し、大学の4年間小樽で過ごした以外は、道北(士別市)と中国東北(旧満州)で小中高校を過ごしました。1962年、学校卒業後大阪で就職、現在に至っています。大阪高槻市に住み50年弱になります。

しかし、僅か数年しか生活していなかった小樽ですが、やはりわが故郷です。小樽を懐かしむ気持ちは年々強まってきているようです。小樽出身の方々にお会いすると、何かしら「縁」を感じてしまいます。

15年ほど前、高槻で、入舟町生まれの緑陵高校(現小樽商業高校)出身者の女性にお会いしました。地獄坂をほぼ同じ時期に往復していたことも分かり、その奇遇に双方びっくりでした。
それからこのかた10数年、小樽出身者には小樽会会員の方や同窓生以外にはお会いしていませんでした。この3月に入って、なぜか立て続けに、ふたりの小樽出身の方にお会いしました。ひとりは住吉大社界隈のハイキングで、もうひと方は先日の北照高校応援で。

住吉大社と言えば小樽の住吉神社を思い起こします。その本家のことなので、興味本位と仕事の上での自主研修のつもりでハイキングに参加ました。そこに主催者の一員として来ておられた女性が稲穂町生まれで緑陵高校出身。しかも高槻在住。びっくりしました。相手も小生が高槻在住と聞きびっくり。早速名刺交換しました。これは住吉神社が取り持つ縁でした。

つぎは先日甲子園で。今月高槻の小学校を卒業した子どもを連れて、北照応援に行きました。この子は、中国人の両親について来日した中国人の子どもで、校外の野球クラブに入っていました。24日昼前、甲子園の小樽会の集合場所につくと、この子が「あっ! クラブのコーチだ!」というのです。そのコーチの方が高槻在住で小樽汐見台生まれ。勿論、この日が初対面。子供と北照高校が取り持つ縁で、知り合い、お互いにびっくりでした。

もうひとつ、小樽ではないが、別の意味での縁。先週東京浅草の下町情緒豊かな宿に泊まりました。この宿の御主人が、浅草育ちなのに、1958年北大工学部入学建築を学んだとか。惠迪寮に入っていたとのことで、初対面なのに、北大商大定期戦など当時の共通の経験で話が弾み、印象深いお宿になりました。

小樽をキーワードとして、「縁」が生まれ、結ばれ、交友が増えることはいいことなのだと改めて思ったこの3月でした。さらに小樽にこだわり、愛着が深まることを、これからも大切にしてゆきたいと思っています。

一昨年・昨年と、仕事、私用で何回か小樽に行き泊まりもしました。今年もまた小樽に行く機会を作らねばとも思って、今から計画を立てています。

高槻市在住 布川 雅章 2013/3/26

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 布川さん、先日大阪おもしろツアーにご参加いただきありがとうございます。
    出町さんにご紹介いただくまで、高槻にお住まいだとは露知らず、びっくりしました。ホントに住吉神社の取り持つ縁だったのかもしれません。今年は小樽会の近江八幡に参加できなかった私と東京の鷲山さん二人で、高槻の摂津峡や、ハニワ工房など歩き、親交を深めました。5月18日には遠征して寅さんの葛飾柴又から矢切の渡しを歩く予定です。6月1日にはおもろ屋敷のある大阪大正区を歩きます。歩いて元気!がモットーです。皆さん、行きませんか。

  • え~、布川さんが出会った方って斎藤さんだったんですか!!
    驚きました。で、斎藤さんは鷲山さんとウォーキングしてたって!!
    鷲山さんが関西にきてらしてるのは知ってましたが、これまたびっくり!!
    お二人は去年の小樽会の山代温泉で出会ったんですよね。斎藤さん、楽しい企画がありましたらこのブログにぜひ投稿してください!