私のウオーキング そのⅢ

 路地探訪に始まり、次いで、車のナンバーを見ながらの歩道へと場所を移した私のウオーキングに、心も体も楽しみを覚えだした頃のある日、私は所用で大阪市内へ出かけ、その帰りの夜、地下鉄の下り階段で足をすべらせて転び、両膝を打ってしまったのである。

 家へ帰り着くまではそれほどの痛みもなかったのに、床に就いてから両膝がズキズキと痛み出し、足を動かすこともできないほどの苦しみを体験したのである。次の日の朝、何しろ両膝なので、這うこともできないほどの痛みに耐えて携帯を取りに行き、近くのクリニックの先生に往診をお願いしたのである。その先生が来てくれるまでの間も、何もできず、ただじっと痛みに耐えるだけ--。

あの苦しみは今でも忘れられない。

 さて、やっと来られた先生は、やおら太い注射器を取り出して、「血がたまってますね」と無造作に膝に針を突き刺して、どす黒い血を両膝から2本半も抜いてくれたのである。その時の痛みも大変なもので、あんな思いは二度としたくないと今でも思っている。

 この処置と湿布のおかげで二日ほど、ひたすら痛みに耐えているうち、徐々に回復に向かい、杖を頼りにどうにか歩けるようになったので、改めて専門の整形医院でレントゲンを撮ってもらい、治療を受けて普通に歩けるようになったが、今も階段はエスカレーターやエレベーターを探す状態である。

 この間、通院や食事の世話など、妹に世話をしてもらったことはとても嬉しく、有難かったことを付け加えておきたい。

 その治療中、回復の遅いのを実感した私が先生に、「先生、回復がこんなに遅いのは、やはり年齢のせいなのでしょうね。」と聞くと、先生曰く、「回復というよりもまず、転んだことが年齢のせいなんだよ。」

 これを聞いて納得した私に浮かんだ諺、格言のたぐい。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」  「転ばぬ先の杖」  等々。

こんなわけで、折角軌道にのっていた私のウオーキングは、「停止」となった次第である。

 

皆様もどうぞご用心下さい。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 金澤さんの心に浮かんだ諺、まったく同感です。
    我々の年代になると、体の衰えていることは全く忘れて、気持ちだけは、若いものですから、ついつい無理をして、後から後悔することの繰り返しです。