厳冬期西穂独標登頂の記

はじめに

 60歳になり、これからの人生をどう過ごすのかを真剣に考える機会が、タクマ社長就任であった。当時の会社を取り巻く事業環境は最悪で、しかも過去の負の遺産の顕在化が始まりかけていた。

 全ての問題解決と業績回復が私に与えられた使命だとしたら、退任までは、8年から10年かかると予想した。終わったら70歳ではないか。冗談ではない。厳しい制約下での生活が終わったら抜け殻になるのは御免である。

 そこで、10年後の準備に入った。一日摂取カロリーを最大1800Kcalにすると共に、筋肉量が落ちないように、週3回の筋トレを一年間続けた結果、筋肉量を落とすことなく70Kgの体重を58Kgまで落とすことに成功した。

 次の年からは、それまでのゴルフ一辺倒の生活を改め、週末はジムと近郊の登山に切り替えた。数年前からは、孫どもを連れて、近畿、中国の山々に登る間、周りの友人達が“富士山に登りたい”という言葉を聞きつけた。

 「よし俺が連れて行ってあげよう。但し、トレーニングしないと駄目」と宣言し、一年半後の昨年8月見事に7人全員の登頂を果たせた。

 それまで冬季の登山はあきらめていた私であったが、友人からある山岳会の会長を紹介され、京都に本拠を置く“榾火山の会”に入会した。これから、お話しするのは、入会後2回目の山行“厳冬期西穂独標登頂の記”である。

 

西穂高岳独標登山記

 2014111日からの三連休を利用し、西穂高岳独標を目指した。

 パーティの構成は、リーダーの会長を含め男4人、女3人。私が最高齢。

初日は新平湯温泉の民宿に宿泊。翌朝早く、新穂高ロープウェイで標高2150mの西穂高口まで一気に登る

 積雪56mの冬道を登ること1時間半で、西穂高山荘に到着、945分。当初の計画では、小屋に宿泊後翌朝登頂の予定であったが、天気がまずまずなのと、翌日はより悪天候が予想されたので、急遽登頂を前倒しすることになった。

 アイゼン、ピッケルほか完全な冬山装備で登山開始。気温は-10℃位であるが、20/s程の強風が加わり、体感気温は、-20℃を超える。北西からの季節風で風上側の左手が凍え、痛い。いけないとはわかっていても、ポケットに手を突っ込んでしまう。昼食時分ではあるが、だれも行動食すら食べる気分になれない。遅れ気味の女性陣をサポートしつつ、半分氷に覆われた岩場にアイゼンの爪を引っかけ登って行く。

 ちょうど2時間後、標高2701mの独標に到着。記念撮影もそこそこに、まともに正面を向けない程の強風の中、下山を開始する。

 下山途中で傾斜した岩盤でアイゼンが滑り、スリップか?という“ヒヤリ・ハット”もありはしたが、1400には西穂山荘に無事到着。

 小屋での登頂を祝う一杯は格別で、30年前を思いださせてくれる。やはり山は、冬に限るとまでは言い過ぎだが、真っ白の銀世界を真っ直ぐ登って行ける快感は夏山登山にはない。

 夏は20人詰め込まれる部屋に、7人で泊まるという冬山ならではの贅沢もあったが、アルコール不足の目は冴え渡り、まんじりともせず一夜が明ける。

 翌朝はやはり大嵐。大勢のツアー登山の人達は、近くの小ピークに登るのが精一杯である。昨日登っておいて大正解と、張り切って下山したまではよかったが、強風でロープウェイが運行中止となる始末。朝9時から午後2時まで待たされて、やっと運行再開。この運行は、ツアー登山の人達のお蔭である。ツアー会社(この時はクラブ・ツーリズムであった)は、客を時間通りに帰さねばならず、ロープウェイなどの交通機関にかなりの強権を発動できるようだ。

 一昨日宿泊した民宿で、風呂に入れてもらいさっぱりとはしたが、自宅に帰り着いたのはもう日付も変わりそうな時刻であった。
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 少なくともあと10年は、こうした山登りをしようと、今でも節制とトレーニングの毎日を続けている。

終わり

tejima-2014-06-07-1

tejima-2014-06-07-2

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 1:格好いいなあ!(写真)
    2:会社たてなおしも、自身の体質強化も、西穂登山も
      難事中の難事、快挙ですね。