最近テレビの昭和歌謡特番を聞いて疑問に思うことがある。それは北原ミレイの歌う石狩挽歌である。石狩挽歌記念碑が祝津のにしん御殿小樽貴賓館(青山別邸)の入り口にあるのをご存知でしょうか。歌詞の後半
あれからニシンはどこえ行ったやら オタモイ岬のニシン御殿も
今じゃさびれてオンボロロ オンボロロ
かわらぬものは古代文字 わたしゃ涙で娘ざかりの夢を見る
オタモイ岬もニシン御殿も存在しないのではないか。ニシン御殿は龍宮閣としても、これはオタモイ遊園地を開発したバス会社による建築と聞いている。そうしたら歌詞の前半
あれからニシンはどこえ行ったやら 破れた網は問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロ
沖を通るは笠戸丸 わたしゃ涙でニシン曇りの空を見る
笠戸丸はブラジル移住に使われた船でニシン漁に関係ないと指摘する人もいるらしい。いずれにしても歌詞というのは杓子定規に考えなくて良いらしい。
因みに作詞者のなかにし礼は小樽在住の両親が渡満し、満州で生まれ8歳の時小樽に戻った。兄は戦後ニシン漁に投資し失敗したという。
オタモイで想い出すのは小学生の頃妹が亡くなった後、母に連れられオタモイ地蔵にお参りに来たことである。その母も奈良県大和郡山市の病院で平成8年亡くなったが、見舞に行く時は近鉄橿原線平端(ひらはた)駅を利用した。すると駅前に「オタモイ」という名の喫茶店があり、もしやと思って入ると店内は漁網や浮玉で飾ってあり小樽のオタモイと直感した。しかし店員はオタモイに関して何も知らなかった。このたび18年振りに訪ねると喫茶店は見つからなかったが、喫茶「オタモイ」の看板は残っていた。近所の人に聞くと北海道出身の店主が亡くなって店も閉めたということだ。存命中に訪ねなかったことが悔やまれてならない。
コメント
コメント一覧 (1件)
私も何も違和感なく、この歌を聴いていましたが、
確かに、地図を見ても、オタモイ岬等見当たりませんし、アイヌ語でもオタモイは岬という意味でもないようですね。また、龍宮閣はあっても鰊御殿はないですね。
小樽観光に来た旅行者が、石狩挽歌で有名なオタモイ岬の鰊御殿へ行ってみたいとなったらどうなるのでしょうね。
喫茶店、オタモイは本当に残念ですね。