大高酵素の原点と小樽

私は現在、大高昇伝「大地を喰んだ男」を読んでいる最中ですが私の最も知りたかった下記の2点がわかりました。

  1. 大高酵素の原点
    登少年が16歳の時、場所は発足村(今の共和町)。当時桜や梅の接ぎ木が盛んに行われていたが、ほとんどうまくいかなかった。その時登少年は、親木と若木の切り口に自分の工夫したある液体を塗ったところ、一本の失敗もなく接ぎ木は成功した。そのある液体とは、ヨモギやオオバコといった植物とリンゴ、ミカン等の果実類を組み合わせてカメの中に入れ、それを土中に埋めて発酵させたものである。この液体こそが、酵素であり、大高酵素の原点となったのである。もっとも、その液体にたどり着くには、学校帰りに笹の切り口で足を踏み抜きヨモギやオオバコで止血して以来の、植物の精へのあくなき研究の積み重ねがあったのだが。
  2. 小樽の企業である訳
    大高昇は1913年(大正2)岩内郡発足(ハッタリ)村で生まれ、その後、鷹泊(深川から北へ数キロ)、帯広、小樽と移動しますが、本格的な生産と販売に乗り出すためきちんとした工場と設備をつくるべく、昭和34年から候補地を探し始めたが、次の理由で小樽となった。まず、水が良いこと。その結果良い微生物が育つこと。次に酵素づくりの原料となる野菜類の供給が十分であること。最後に小樽は登にとっては子供時代からのあこがれの地であったこと。
  3. 尚、9月30日掲載の記事の一部は、大高昇の哲学的なところなので、ブログからは削除いたしました。

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