余市美人と心斎橋

                                             ~~~~ 人生の故郷と郷愁 ~~~~                                                                                     ❜                                 

 故郷とはどこを呼ぶのだろう、“生まれたところ”であれば簡単である。しかし、長い人生には、育った所、長く住んでいた所から、短くても運命を変えた所まで故郷と呼べる所は幾つもある。
 さらに人生には場所ではなく、心に刻まれた時空を超えて忘れ得ぬ人々がいる。それを、“人生の故郷”と呼ぶ。     

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 先日、心斎橋大丸の地下売り場を歩いていたとき、「せんせ!」急に声を掛けられた。振り向くと、一瞬“ナターシャ”と重なった。余市(よいち・北海道)のK嬢であった。 メガロポリス大阪のど真ん中、夕方のいちばん混む売り場で会うとは、すれ違う瞬間が少しでもずれていたら、偶然とは茶目っ気のある神のいたずらか。
 綺麗な余市美人、K嬢の明るい笑顔に石狩湾の潮風がそよいでいた。

 

 “偶然も必然である”というが、そこまで冷たく見ると、人生は味気ない。もっと暖かい血の通った人間の視座で見ると、人生に流れる“偶然の時”が愛(いと)おしい。時計を二十数年まえに逆回りさせていくと、そのころK嬢は遠い余市にいて、(と思う)私はロシアのモスクワかSt・ペテルブルグにいた。もちろん二人は知るよしもない。
 その二人がある日、心斎橋の百貨店の売り場で出会うとは、そう思うだけで僅かな時であっても、偶然の出会いにおもしろさを感じる。
 その頃モスクワの友人の娘、ナターシャは頭のきれる建築科の女学生であった。ソビエト崩壊の頃は、日本の建築専門書やスケール・鉛筆まで援助していた。いまは立派な建築家になり、ドイツ、デュッセルドルフに住んでいる。珍しいドイツの絵ハガキをよく送ってくる。余市美人はナターシャによく似ている。

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 北海道には日本文化を代表する数人の研究テーマを持っているので、以前からたびたび訪ねている。北大キャンパス、幾春別、函館の立待岬、とくに小樽には深い思いがある。余市にも何度も行っている。研究で知り合った地元の人々は、すでに鬼籍に入った人もいるが、いまも時空を超えて心の中に生きている。
 人生の故郷は、長い時が経つほど、遠く離れるほど郷愁を誘う。

 

 余市美人と偶然に出会った夜は、JALビルで会議があった。部屋は31階の高層階、窓から眺める大阪の街は茜色に映え、やがて濃い暮色に包まれていった。
 眼下に広がるメガロポリスには無数の運命と郷愁が渦巻いている。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 先日は、本当に奇遇でございました。余市美人とお呼びいただき光栄でございます(笑)。
    あの日、先生のご予定がなければ、美味しいワインをご一緒したいところでした。

    私も、かつて1年間、毎月のようにモスクワの地を訪れておりました。 
    女性の名前は「ナターシャ」が多かったような記憶がございます。

    次に先生にお目にかかれるのはいつのことでしょうか? 偶然という名の必然を楽しみに致しております!!