
11月21日(金)、関西小樽会の秋イベント「秋の伏見で楽しむ 船旅と酒蔵めぐり」を開催しました。今年は紅葉がちょうど見ごろを迎え、色鮮やかな景色が出迎えてくれました。当日は気温も穏やかで、まさに絶好の行楽日和。伏見の歴史ある街並みと水辺の風情を味わいながら、参加者同士の交流を深める楽しい一日となりました。
十石舟でゆったりと水辺の景色を満喫

13時に京阪中書島駅に集合し、点呼を取って十石舟の船着き場へ。


道中の「長健寺」で記念写真。
こちらは1960年公開の日活映画『男と男の生きる街』の撮影で石原裕次郎が訪れた場所だそうです。



かつて伏見の物流を支えた水運の名残を伝える十石舟。川沿いに広がる紅葉や蔵の白壁を眺めながら、ゆっくりと進む舟の上では会話も自然と弾み、参加者からは「京都らしい景色が楽しめてよかった」との声が聞かれました。伏見に10年住んでいる川村さんも初体験とのことでした。
伏見の水運を支えた三栖閘門


三栖閘門は、1929年(昭和4年)に完成した水門で、宇治川 と 濠川(“伏見港”へ通じる川)との水位差を調整するための施設です。両者の水位が異なるため、単に橋や運河で結ぶのではなく、“水を上下させる”ことで船の通行を可能にする、いわば「水のエレベーター」のような仕組みで作られていました。これは、世界的にも有名なパナマ運河 の閘門と原理は同じです。
完成当時は非常に画期的な設備で、初年度だけで2万隻以上の船がこの閘門を通過したと記録されています。伏見はかつて、京都と大阪を結ぶ重要な水運の拠点でした。しかし、時代の変化とともに舟運の需要が減少。鉄道や道路が発展するとともに、1962年(昭和37年)に水運の役割は終わりを迎えました。

伏見夢百衆で16銘柄の利き酒体験


続いて訪れたのは、旧月桂冠本店を活用した「伏見夢百衆」。
館内には玉乃光や富翁、英勲伏見の清酒がずらりと並び、16銘柄を飲み比べることができる利き酒体験を楽しみました。利き酒クイズに挑戦し、参加者10名中4名が見事的中。特製のオリジナルお猪口を獲得しました。

日本酒好きにはたまらないひとときとなりました。
伏見の街を歩きながら歴史に触れる散策
油掛地蔵

「油掛地蔵(あぶらかけじぞう)」と呼ばれ、その起源にはこんな言い伝えがあります
――昔、油売りの行商人が、この地で油をこぼしてしまい、残った油を地蔵尊にかけて供養。その後商売が栄えたことから、「油をかけて祈願すれば商売繁盛・願望成就」と信じられるようになったとのこと。
以降、「油をかける」ことで地蔵に願をかける習慣が続き、今でも参拝者が油を掛けて祈願する人がいるようです。
観光客がめったに訪れない穴場スポットとのことでした!
寺田屋


尊皇攘夷派志士による「寺田屋騒動」(1862年)や、坂本龍馬が襲撃を受けた「寺田屋事件」(1866年)の舞台となった、歴史的な船宿です。当時の建物は、後に起きた戦火(鳥羽伏見の戦い)で焼失しており、現在の建物は再建されたものです。
ガイドさんの解説によって当時の空気が、ほんのひととき、蘇るようでした。
電気鉄道発祥の地

1895年(明治28年)2月1日、京都電気鉄道によって開業した伏見線は、「日本で最初の一般営業用電気鉄道(路面電車)」でした。区間は当時の七条停車場(現在の京都駅付近)から、伏見区の下油掛町(下油掛通あたり)まで約6〜6.9km。動力は琵琶湖疏水の水力発電による電気で、当時としては最先端の交通手段でした。
当時の市民には「チンチン電車」の愛称で親しまれ、馬車鉄道など旧来の交通に代わる新しい公共交通として、京都の近代化を象徴する存在でした。「電気鉄道事業発祥の地」を示す石碑が建てられており、かつての終点・下油掛の場所であったことを伝えています。
鳥せい本店での会食
締めくくりは、酒蔵を改装した「鳥せい本店」での会食。
鳥せい本店は、約1677年創業の老舗酒蔵山本本家が直営する鶏料理の飲食店で、かつての酒蔵を改装した落ち着いた佇まいが特徴。酒蔵らしい梁や高い天井、白壁といった内装で、酒どころ伏見らしい風情と歴史の香りを色濃く残しています。


名物の焼き鳥や鶏料理を楽しみながら、和やかな雰囲気で会話が広がり、参加者同士の距離がぐっと縮まった時間となりました。
秋の伏見は、紅葉まばゆい見ごろ。穏やかな陽気のなか、水辺の風、酒蔵の香り、幕末の気配と人々の祈り…さまざまな表情を見せてくれました。
舟旅をともにした参加者同士の距離もぐっと近づき、笑顔と杯が行き交う賑やかなひとときに。
関西小樽会ならではの “学びと交流の秋の一日”。また次回の集いで、みなさまとお会いできることを心より楽しみにしています。
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