小樽とJAZZ

初めての小樽訪問は1998年の大親戚家族集団北海道2泊3日旅行でした。札幌から函館を周る旅程で、カニとイクラに喜び、小樽では運河とガラス細工を観光したが宿泊はせず慌ただしかったようでした。

その後たびたび小樽へ来る機会を得たのは2005年頃、塩谷桃内地区の北しりべし廃棄物処理施設(焼却処理とリサイクル)建設に携わった業務出張の頃でした。
それから2年経ち建設終了前の半年は入舟のアパートに、以降2011年5月に帰阪するまでの4年間は単身赴任で色内のマンションに住みました。

この期間にお世話になったのが、オーセントホテル斜め向かいにあるJAZZ カフェ・バーのグルービー(Groovy)のオーナーであるNさん。小樽市役所を定年退職された後、念願のJAZZ喫茶を開かれたジャズ魂のある温厚な先輩である。初めて店に入った時はJBLの名機パラゴンが鳴っていてびっくりしました。「ええ!こんなところでパラゴン!!」。 更には訪れるお客が意外と少なく閑古鳥状態に近いことにもびっくり。JAZZに対して人一倍思い入れがあり、アホな関西人の私とマスターは気が合い、それからはほぼ毎夜JAZZ談義に花が咲きました。それでもその店の常連には市役所、病院やいろいろな職をもつ人々が居られました。 そんなこんなで波長の合うグループ(主に市役所)が出来てジャズ勉強会を催したり、各地のジャズコンサート(室蘭、ばんけい、岩見沢、今残っているのは札幌のみ)、各地のジャズ喫茶、流氷やレコード館、温泉など名所を訪ねる“酔いどれ旅行”が企画されたのもこの頃でした。又自然に接する機会を与えてくれた常連とは釣りや登山ハイキングなど同行し大変楽しいオタチョン(小樽チョンガー)を経験することができました。

小樽での庶民生活での感想は、
   ①.“人は重つ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている”感じは全くなく、“それなりの空の下を皆シャキット      背を伸ばし元気に歩いてる”人ばかり(老人は除くが)。
 ②.好きなサンマが安いし、大きく新鮮。サンマを漬けたものがあるのに驚きました。(近年は大きなサンマに合わ
  なくなったが)
 ③アキアジ(サケ)釣りのシーズンにはあちこちウロウロしましたが、1匹も実績がありません。(1匹、釣れか
  かったが切られた)。サケの呼び方も色々あることを知りました。
 ④小樽寿司三昧のキャンペーンの時だけ有名店で寿司を食べることができました。
 ⑤何でも動植物が大きく育って、白菜や蕗、ほっき貝の大きさにびっくりしました。
 ⑥なんやかんやイベントがあり、行政・商店の努力の賜物です。やはりJAZZも似合う街であり、音座なまライブや
  屋外ライブが、今後の若手を育てていくことでしょう。
 ⑦冬の小樽はやはりしばれるし吹雪きます。車での運転には雪だまりでのスタックを注意すべきで、スコップは必
  需品でした。ホワイトアウト状態となると車を停めることも出来ず前のテールランプを探すこととなり、覚悟を
  決めたこともありました。

帰阪後は毎年小樽へ“帰っています”。みんなと逢うのが楽しみです。でもいたころより庶民の商店の静かさが心配です。それと小樽の友人達も私も皆高齢になって来ています。神戸に並ぶJAZZの街へ発展できるよう、マスターN氏の踏ん張りに期待したいが・・・。
小樽の高齢者みんなが、この冬も無事しのげ、良い年となるように祈念します。

 

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  • 我々が小樽にいた頃は、三橋美智也、島倉千代子等の歌がはやっていたころで、長橋の田舎で住んでいた私にはジャズは全く無縁の世界でした。それが今や小樽はジャズの街というから驚きです。運河保存運動から発した、街づくり運動の延長線上のサマーフェスティバルの立ち上げがジャズをイベント化したきっかけと分かりやっと納得したものです(小樽学2017年10月号)。小樽の観光化は多くの街を愛する人たちの努力のたまものでしょうし、ジャズもその一環をになってきたのだろうと思い改めてジャズに興味を持った次第です。