小樽への思い

昭和34年3月小樽で生まれ、緑町にて3歳まで育ち、そして、勝納町へ移ったのち、潮見台小学校、潮見台中学校を経て、昭和52年高校卒業後、国鉄に入社、初任地の小樽築港駅では構内係として貨物列車の入れ替え作業に従事、その後、滝川、札幌、東京、大阪の各地へ転勤し、遠く離れた各地から小樽を思い浮かべ、四季を通じて、食、観光、文化や歴史など、改めて故郷である小樽の良さを感じておりました。

平成18年に大阪勤務となり、その際、関西小樽会の藤田事務局長から当会へ入会のお誘いをいただき、4年間、関西小樽会の皆様にお世話になりまして、故郷「小樽」をキーワードに交流させていただきました。改めて、関西小樽会の皆様に感謝申し上げます。

この度、9月1日付で小樽駅勤務となりましたが、小樽での仕事は小樽築港駅配属以来でありますので、実に38年振りとなります。

前職は、客室乗務員が乗務する北海道新幹線へ或いは北海道新幹線から接続となる北斗やスーパー北斗を中心に札幌~函館間の一部の特急列車内で車内販売などを担当する客室乗務員センターにて勤務をしておりました。

現在、自宅のある札幌から毎朝の通勤では、銭函から朝里にかけて、日々変化する日本海の景色と海の色、波がある日はサーファーの姿、そしてその先の高島岬、更に対岸には暑寒別や増毛の雄大な山脈など、最高の景色を眺めながら通勤も楽しんでおります。

小樽は、小職が申すまでもなく歴史のある町、「小樽へ」お越しになる多くのお客様に「食べて、見て、触れて、歩いて」大いに楽しんでいただきたいと思います。

小樽駅は、明治36年に北海道鉄道の小樽中央駅として開業いたしましたが、明治40年国有化に伴い国有鉄道に移管し、その後、明治42年国有鉄道線路名称制定に伴い、函館本線の駅となり、明治44年2代目駅舎に改築、そして、現在の小樽駅は昭和9年に3代目の駅舎として改築されましたが、鉄骨鉄筋コンクリート造(RC造)の駅舎で、昭和初期のRC造による現役駅舎として希少であり、平成18年に小樽駅本屋・プラットホームが国の登録有形文化財の駅舎となりました。

因みに、明治40年の国有化後初代の駅長は、石川啄木さんのお姉様のご主人、山本千三郎さんですが、私は、歴代の駅長としては52代目、JR北海道発足後は12代目になります。

今後は、更におもてなしを充実させ、これからも小樽市民の皆様、そして各地からお越しいただく皆様に愛される駅づくりを進めると共に、有形文化財である駅舎を大切に使用していきたいと思います。

関西小樽会の皆様、改めてどうぞよろしくお願いいたします。

来樽の節は、是非、小樽駅にもお立ち寄りいただけます様、お待ち致しております。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 小樽駅は4番ホームにランプと裕次郎の実物大があり 裕次郎の歌が流れ 雪明りの時期は構内でガラスのイベントや ブランコを設置して写真スポットを作ったり 構内のお店も充実しており 楽しいスペースになりました カート利用の観光客が多く 駅をでたところの階段を部分的になだらかな坂道にしていただくと力のない私としてはありがたいかな さしあたり12月5日小樽緑の町つくりの会の総会で小樽にお邪魔します

  • 木原さまの小樽駅の沿革、合田様のコメント、どちらも拝読しているうちに、雪が舞う小樽駅の風貌が立ち上がり、懐かしさがこみ上げてきます。

    明治40年の国有化後初代の駅長は、石川啄木さんのお姉様のご主人、山本千三郎さんということですが、初めて知りました。私の実家である小樽中央通郵便局が開局され、村上家から養子に行った宮腰定作さんが初代局長になったのが、一年遅れの明治41年とあります。
    局名は小樽静屋から小樽西、大正7年に小樽中央通郵便局に落ち着きましたが、局前の大通りから三角山を仰ぐと、ドン付きの正面にはいつも小樽駅があり、局から駅まで2、3分の距離なので、局員は急ぎの時、走って駅のトイレに通ったと聞いています。
    万歳!武運長久を祈る!と出征兵士を送ったのも、小樽駅。家族に一枚は小樽駅の写真が残っているのではないでしょうか。