寺島伸二 栖原家と樺太(北蝦夷) その6

 明治三十九年七月石狩国ニ居住スル旧樺太土人モ亦一同相儀シ書ヲ栖原家ニ致シテ曰ク


願書

 私共祖先以来樺太島ニ於テ永年御店漁場ノ従事ニテ代々生計致シ来リ候処仝(どう)島ハ露国領ト相成リ候趣キニ付、祖先ヨリ代々御国ノ御徳育ヲ慕ヘ、住慣レ候土地ヲ捨テ、御国ニ引払ヒ申候。

 其際北海道ニ於ケル御店漁場内ニ従業致シ、将来ノ生計方法相立申度心得ニテ、当時樺太漁場御店支配人小路口周吉ニ事情懇談仕候處速カニ御承諾被成下一同安心致シ、仝島引払来道仕候處、官ノ御都合被爲有候趣ヲ以テ、私共一同厚ク御世話被成下石狩国ニ居住致来候、今般樺太島南半部即チ私共旧居住地ハ、御国領ニ相成候趣キ、就テハ御店ニテモ仝島従前ノ通漁業相営候由ニ御座候間、住前ノ縁故ニ因リ、私共一同御店漁業ニ従事致度一同申合此段奉願上候、右御聞済被下候得者私共一同旧地ニ帰リ、朝夕祖先ノ墓地拝禮スルコトヲ得、年来ノ本望ニ御座候。

 既ニ昨年中官廳ニ帰島ノ儀御願申上候得共差向、私共生計ノ見込相立チ不申哉ニテ未ダ何等ノ御沙汰無之候、幸ニ御店漁業ニ従事致居候得者、子々孫々ニ至ル迄生計ノ見込方法確定致シ候儀ニ付官廳ニモ帰島御許可被爲有候事ト奉存候、先年樺太引拂ノ例ニ倣ヒ厚ク信頼仕候、官廳向共宜敷奉願上候


   明治三十九年七月

旧樺太土人当時石狩国 居住者一同

  栖原御店

 

 

 石狩国対雁に移住したアイヌ達は、さすがに望郷忘れがたく、隔年毎に一戸一人づつ樺太に帰り墓参するのが恒例となっていた。彼らはその都度、留萌の栖原支店に支配人を訪れ、出発と帰着の挨拶を述べ、往時の栖原家樺太殷賑(いんしん)時代を語り合い、酒食を供して別れを惜しむのが常例であった。この様に栖原家と樺太アイヌとの深いつながりと、恩愛を忘れ得ず石狩より痛切なる心情を一書に寄せて栖原家に送って来たのである。


続く

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 1:アイヌと樺太についてこのような事があったとは、この年になって初めて知りました。
    2:アイヌと和人の関係については、和人がアイヌを騙したり酷使したりの話がほとんどだったような気がしますが、この記事のような、良い関係もあったのですね。