心に残る旅の思い出

昨年の9月の事ですが、桜陽十五期卒業五十周年記念同窓会に出席しようと、私と夫は、関空の最終便で千歳へ向かって旅立ちました。長小、長中、桜陽と古いお付き合いの紺野(旧姓、宮崎)さんのお宅に一泊し、翌朝二組の夫婦は、手稲から道央自動車道にのり、ひたすら函館方面目指して走りました。

 樽前サービスエリアで、そのパノラマは広がっておりました。

新しいサービスエリアで、まるで「天空の城ラピタ」に出てくるように、快晴でなければ絶対見られない風景が、高く広がってました。右手に樽前岳、目の前には大きく広がった太平洋、左手後方に羊蹄山の頂上が見てとれました。

 次に降りたのは、八雲の噴火湾パノラマパークでした。ここはとても広く、子供の遊べる広々とした空間がありました。この雄大なパノラマを見ながら、おいしいかきあげうどんとそばをいただきました。

 その後大沼公園で駒ヶ岳を見あげながら、三つの沼を船で楽しみました。

再び道央自動車道を走り、落武(オトシベ)で降りて江差へ向かうバイパスの途中の銀婚湯で一泊しました。露天風呂が五つもあり、野趣に満ちた温泉でした。宿のそばを流れる落武川で主人達は、豪雨以来姿を消していたヤマメを二匹釣りましたが、家族が増えるようにと放してやったそうです。

 翌日、岩内へ出て、木田金次郎記念館に寄りました。

十五期の木田宏明君の大叔父にあたられるそうです。木田君も絵が上手で、近大のドイツ文学の准教授でした。とても優しい人柄で、桜陽会の先輩、後輩からも慕われ、いずれ小樽会にもと期待されていたのに、病に襲われ亡くなられました。

 木田金次郎は、裕福な網元の息子で、当時珍しく東京の私学へ通ってましたが、家業の不振と共に、岩内に身を沈めて、ゴーギャンのように、その山と海を愛し、描き続けた人でした。

「生まれいづる悩み」のモデルとなり、有島武郎に支えられ励まされた事は有名です。

 岩内を出て、私達は「ノルド小樽」の同窓会場へ向かい、百二十人の同窓生と再会を喜び合いました。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 小学校以来の同級生と、今もこんなに親しくお付き合いをされているなんて、うらやましいですね。
     ちなみに、紺野さん(旧姓:宮崎さん)のお父さんは長橋中学校の英語の先生でした。紺野さん(宮崎さん)は英語がよくでき、小樽市の英語コンテストにも出場されていました。私も宮崎先生には英語を習ったものです。
     木田金次郎美術館は小樽からは少し離れていますが、後志の観光資源の一翼を担ってくれれば良いですね。