新年が明けて早、立春も過ぎました。しばらくブログにもご無沙汰でした。皆様はお元気でお暮しでしょうか?
オミクロン株の猖獗の中、家に籠るのが日常となり外出するのが億劫になってきた自分の変化に、戸惑いと“こうしてはいられない”という反省の繰り返しの毎日を過ごしています。
つい先だっても、医者の予約を2件もパスしてしまいました。致命的な予約でなったのが幸いでしたが。
母の遺品を整理していたら、私の小学校から大学までの「通信簿」「模擬テストの成績」各種「賞状」などが出てきました。その中で面白いものを見つけました。昭和41年11月27日の「北海タイムズ」の記事です。「市の“じんかい炉”を卒論に 北大工学部の手島さん、木村さん」とあります。指導教官の岡垣理教授の勧めで、卒論のフィールドに当時最新式の小樽市のごみ焼却炉を使わせてもらいました。4年になってすぐ“田熊汽缶罐製造株式会社”に就職が決まっていた私に先生からの「田熊に行くのだったら小樽のごみ焼却炉で卒論を書いたら良い」との指示でした。共同執筆者の木村君は、“千駄ヶ谷の受け師”と言われた将棋の元王位“木村一基九段”の父君です。
岡垣先生は、熱工学の大家で小樽市のごみ焼却炉の選定委員もされていました。この卒論をまとめるに当たり、日本機械学会の「伝熱工学資料」を勉強し、それが就職後の仕事に大変役に立ったことは今から考えてもありがたいことでした。
この焼却炉、何と!今でも現存しています。昭和40年竣工ですから57歳です。小樽市天神の水源地の少し下流に往時の姿をそのままに留めています。これも「小樽市ならではのことか?」と言ったら小樽市に失礼でしょうか。写真は、数年前に私が撮ったものです。
終わり
北海タイムズ
コメント
コメント一覧 (1件)
手島さん、興味深く記事読ませて頂きました。
私も現役時代焼却炉で実験の仕事に携わた事があり、興味持って読みました。
もし機会ありましたら卒論を拝読したいと思います。