教師冥利

私は後期高齢者に仲間入りする年ですが、この間昭和57年だけクラス担任を経験しました。学校は2年制の専門学校で通常2年間担任するはずが、途中配置換があり1年間だけでした。学年のクラスは1クラスのみで、この年は30数名全員が女性でした。その時の学生が50歳を超えて今年の春休みに、京都と神戸から会いに来てくれました。(二人とも学校勤務なので)

せっかく来てくれたので近くの飛鳥を案内しました。お昼に近鉄橿原神宮前駅で待ち合わせ駅前の橿原ロイヤルホテルでランチをすませバスで石舞台古墳に行き、そこから家まで約5kmの道のりをウオーキングしました。橘寺、亀石、聖徳中学校、鬼の俎板鬼の雪隠、飛鳥資料館、高松塚古墳、飛鳥駅、岩屋山古墳、牽牛子塚古墳(けんごしづか)のコースをとりました。今度会う時はこんなに元気でいられるか、一瞬不安がよぎりました。

家では嫁さんや娘達から常日頃無視された存在なのに、30年以上前の1年間の付き合いで遠くからわざわざ我が家まで来てくれて感激です。思い起こせば昭和20年代バスの無い頃入舟町7丁目にあった、小学校の先生宅を伺ったことが思い出され、彼女たちも同じように感じてくれたか気がかりでした。

当時の学校を離れる時、学生一同から蜂蜜の袋を持った熊のプーサンの縫いぐるみを記念にもらいました。今も本棚に大切に飾ってあります。学生には伝えてませんが、家の者には私の棺に入れてくれるよう頼んでいます。
 

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コメント

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  • 如何に生きるか真剣に考えている若者を教育する職場だからこそ、こんなに濃いつながりができるのでしょうね。