「和光荘」へ行ってきました

昨年10月小樽で長橋小学校のクラス会があり、小樽へ行きましたが、和光荘へも寄ってきました。

和光荘については、その存在は以前から知ってはいましたが、行ったことはありませんでした。しかし学生時代、北の誉でアルバイトをしたことがあったり、「出世前広場」の「歴史館」で北の誉の歴史をよんだりして、北の誉にはずーと興味を持ち続け、お酒を飲むときも、機会があれば北の誉を指定してきました。そんな私が、和光荘へ行ってみようと決めたのは、当ブログの「和光荘の一般公開」(小樽市産業港湾部の三船様が平成27年4月14日掲載)を読んだからです。

10月5日に訪問し、代表者の野口礼二氏にお会いすることが出来ました。野口礼二氏は北の誉創業者野口吉二郎氏の曾孫に当たる方ですが、現在は北の誉の経営には携わっておられず、野口家一族の資産管理会社(株)秀映社の代表取締役をされ、一方でデイサービス等の福祉事業の経営をしながら社会貢献をされておられ、大変多忙な中、外出前の短時間ではありましたが、次のようなお話をお聞きする事が出来ました。

21歳で北の誉の経営を引き継いだ2代目喜一郎氏は、北の誉の経営だけでなく、合同酒精の創業に関わったり、銀鱗荘、大同倉庫、北海ホテル(北海観光の経営だったが北海ホテルとなり戦後和光荘は北海ホテルの別宿泊施設となったこともある)の経営に参画、又、桜町の開拓に関わったりもしたそうです。いずれも我々が子供のころからよく聞いていた有名な企業ばかりです。我々が子供の頃から北の誉、合同酒精は良く聞いていたものでしたし、当時旅館は多かったと思いますが、ホテルとしては北海ホテルぐらいしか知りませんでした。又、大同倉庫は運河に面し、「大同倉庫」という白いペンキの大きな文字が昔から一際目立っていました。こんなに多くの事業に関わったという事は、小樽の成長期の骨格づくりに貢献されたという事でしょうし、大正、昭和の小樽の繁栄の中核を担ったのではないでしょうか、和光荘は正にその象徴だろうと思いました。

以下、私が見学した和光荘の一面です。

  • 天皇陛下が泊まられた部屋と庭園、高橋是清直筆の額、間接照明で光を取り入れた天窓、斜面に合わせた斜めの窓枠、社員の皆さんが利用されたサンルーム、開き障子等々、大変立派な建物だと思いました。
  • 尚、本棚には、古ぼけて茶色になった本がぎっしりと並んでいるのですが、宗教関係の本が多かったのは意外でした。しかし仏間を見た時、分かりました。天井ほどもある大きな仏壇と広い仏間、野口家の方々は、事業に精を出されただけでなく、仏教を深く研究、そして信仰されておられたのだなと思いました。

尚、下記写真と和光荘のウェブサトもごらんください。

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http://www.otaru-wakousou.com/ (和光荘のウエブサイト)

 

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • いいお顔のお写真ですね。
    ありがとうございます(=´∀`)人(´∀`=)