渡辺克郎さんとの出会い

昨年暮れの関西小樽会役員忘年会で同席した渡辺さんが、今月亡くなったと聞いてあまりに突然なので驚いている。ここで渡辺さんとの出会いを振り返ってみた。

  1. 出会いと言えないかもしれないがお互い40代の時、昭和62年(1987)の関西小樽会設立  総会に出席していた。現在設立総会に出席した人は、そんなにいないと思われる。
  2. 平成15年(2003)高校同窓会の事務局に就いた時、会報の発送業務を引き継いだ。それまで会報の印刷は渡辺さんに頼んい た。事務的に受け取っていたが、渡辺さんは天王寺区の勤務先や奈良県の自宅まで配達してくれた。
  3. 平成21年(2009)高校同窓会の会長になり関西小樽会の役員に入れてもらった時、渡辺さんは副会長でおり始めて話をするよう になった。渡辺さんは総会・懇親会は勿論ハイキングや甲子園の応援に熱心に参加していた。  思えばお互いよく知らないで出会いがあったことになる。ご冥福をお祈りすると、南こうせつ作詞作曲「真心に生きる]の一節と同じ気持ちに なる。

“ほほえみひとつ 涙ひとつ
 出逢いも別れも 抱きしめて
 生きてる今を愛していこう”

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 渡辺さんは本当に関西小樽会と小樽を愛した人だったと思います。

    いつも、会合や行事(カラオケまでも)には積極的に参加され、時には御嬢さんたちまでお連れして。

    入院中の身でありながら、去年の暮れまで、そばよしさんの行事に参加されたり、関西小樽会の忘年会に出席されたり、新年会にも出席しようとされたり、正に関西小樽会とともにあった人でした。