吉野の思い出

生まれ育った小樽で30年、その後大阪を経て奈良県橿原市での暮らしが40年近くになる。今では吉野を地元と思っている。ここで、これまでの吉野に関する思い出を振り返ってみた。

  1. 子供の頃正月の遊びは百人一首で、隣近所の家に上がりこみ木札を取り合ったものです。二軒隣に同学年の「よしのり君」、通称「ヨッチャン」がいて、お気に入りの札は「よしのの里に、降れる白雪」であった。多くは「乙女の姿、しばしとどめむ」が人気だが、自分の名前にこだわっていた。
  2. 奈良に移ってまもなく中学・高校・大学が同じ横浜市水道局のSさんが来た時、一緒に吉野に行った。彼は吉野水分(みくまり)神社と読み水の配分を司る神だと教えてくれた。昨年暮れ彼はガンで亡くなりセンチメンタルジャーニイーで、水分神社を訪ねたいと思っている。
  3. 昭和59年高校の同窓会の総会が花見を兼ねて吉野で開催された時、10才の長女を頭に3人の娘を連れて参加した。同じ年発行された同窓会誌に娘の作文が載っている。「母とおばあちゃんのおみやげは、お弁当とおかしでした」
  4. 平成13年吉野山竹林院群芳園に高校の先輩Kさんが、

    「み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり」

    の歌碑を建立した。除幕式には都合で参列できなかったが、平成15年近所の自治会の旅行で竹林院に行った時、歌碑に対面することができた。

  5. 現役の終わりごろ酒に酔って乗り過ごし、終点吉野まで行き帰ることができず駅舎の長椅子で一夜を明かした。三重県青山町では数回駅舎で寝たが、吉野は一回きりである。こんな体験は小樽出身者はもとより、北海道出身者といえども無いと思われる。

なお、平成28年9月10日近鉄南大阪線・吉野線に観光特急「青の交響曲」がデビューします。座席は全て2列+1列の巾広いデラックスシートで、大型バーカウンターとラウンジスペースを備えており、秋の観光で是非試乗してください。

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • 吉野の魅力をありがとうございますm(_ _)m
    訪れてみたくなりました。*\(^o^)/*

  • 私は今まで、転勤等により何回も住まいを変えてきておりますが、
    これを機に一度棚卸をしてみようかな?

  • 私も吉野の桜を見に行って山一面覆う壮大な桜の美しさに感動したことがあります。大和高田市の中双糖メーカーの社長と40年以上のお付き合いがあり、この社長に奈良県の名所旧跡等を教えてもらいました。信貴山上のお茶屋に泊まり翌朝5時頃朝護孫寺の僧侶の読経で目を覚まし参拝し、当麻寺や長谷寺の牡丹を楽しみ、法隆寺や薬師寺、樫原神宮や天理教総本山でお参りし、会社定年後2年程上記の中双糖メーカーに勤務した時は学園前に住み、大和高田までの通勤の途中毎朝大和三山を眺めました。会社の同僚が定年後田原本の自宅の畑で蕎麦、馬鈴薯、オレンジ、レモン、柿、梅などを栽培し、そば、オレンジママレードや柿羊羹、梅羊羹を作っています。時々ママレードや羊羹を送ってくれます。奈良県は私の第3の故郷です。