呆けの戯言走馬灯

7月30日に小樽で母の七回忌がありました。この日はたまたま潮祭りと重なっていて、潮音頭の列に加わったり、メインステージのかぶりつきで潮太鼓を見物したりしました。

私事で恐縮ですが、1月に食道がんの大手術を受け九死に一生を得て養生中でしたが、少し元気になりました。港で花火を見たのも60年以上前のことですし、ニッカウヰスキーを訪ねたのも60年以上前のことです。

60年前と言えば、洗濯機も炊飯器もテレビもまだ普及していなく、電話の付いている家もまれだったと記憶しています。路地にはガキがごろごろしていて、皆貧しかった。いじめや暴力が無かったとは言いませんが、ほどほどを心得ていたように思います。昨今の暗いニュース(大企業や大学病院、議会・官庁の不正を含む)を見聞きすると暗鬱な気分になります。子供たちが走り回り、笑い声が響きわたる、あの路地裏のような光景をいっぱい見たいものです。

話は変わりますが、小樽~余市間の塩谷海岸(砂鉄で砂が黒い)は、私がタカクワクラブで15年間水泳を学んだ所です。余市からの帰りにバスの車窓から望んで懐かしく思い出しました。

とりとめもなく綴りましたが、結びに関西小樽会関係者各位のご健勝を祈念申し上げます。

おたる潮まつり

おたる潮まつり

昔行ったニッカの工場

昔行ったニッカの工場へも行ってみました

若かりしときの私/塩谷海岸

若かりし時の私/塩谷海岸

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 60年以上前といえば、昭和20年代の終わり頃・・・
    皆が貧しかったけど、楽しく良い時代でした。

    塩谷海岸は私も泳ぎに行きました。
    長橋中学校では、夏に全校生徒(?)で塩谷海岸まで
    あの長い距離を歩いて泳ぎに行ったものです。