勤務していた会社のOB会報誌で函館在住の小原光一 1)さんの「コアップガラナ」の紹介記事を興味深く読みました。なにしろ半世紀も前のことであり、すっかり忘れていた「ガラナ」という炭酸飲料、懐かしくて早速小原さんにメールしました。折り返し小原さんから丁重な返信がありました。
正に往時茫々ですが、当時の記憶を絞り出してみます。私は1962-67の5年間、食品商社の札幌支店(支店長黛克己 2))砂糖課(課長真柳潔 3))に勤務していました。そのころの札幌支店砂糖課はホクレン・台糖のビート糖、台糖・一糖などの精製糖や沖縄黒糖などを扱い、主な販売先には雪印乳業他大口ユーザー、橋谷(株)(本社函館、支店札幌、小樽、釧路)などの有力問屋を擁し、砂糖ではトップ級の商社でした。当時、炭酸飲料水はサイダー、ラムネ(ガラス玉を押して栓を開けた、中身はサイダー風)、サッポロビール社のリボンシトロン、それに既に急速に伸びていたガラナが主流を占めていました。特にガラナは原料がブラジルアマゾン川流域で育った果実で、疲労回復・滋養強壮効果満点、色もサイダー類と違ってエキゾティックな琥珀色の爽やか飲料ということで大人から子供まで大人気でした。
一方本州方面では1950年台後半から各地にコカ・コーラボトラーが操業を開始し、爆発的な人気となりコカ・コーラ旋風が巻き起こり、北海道にも1963年に北海道コカ・コーラボトリング会社が設立されました。63年と思いますが橋谷(株)の吉田支配人(本支店を含め営業統括指揮官)が来店、真柳課長と共に飲料向け砂糖の売り込みについて打ち合わせをしました。その時吉田支配人は「コカ・コーラが来ても北海道はガラナだよ」と自信ありげに云いました。恐らく函館では橋谷(株)が小原さんの会社に台糖のグラニュー糖を納入していたものと思います。私も小樽市のガラナ飲料メーカー(株)北海屋(妙見市場の東側にあった)に橋谷(株)の小樽支店長と共にグラニュー糖を売り込みに行きました。小原さんが書いているように(株)小原などの北海道の地場飲料メーカーは早くからコカ・コーラの対抗策を強力に進めていたため、63年のコカ進出の前にガラナ飲料は既に北海道に広く定着していたようです。このような北海道の熾烈な炭酸飲料市場攻防戦を経てきたガラナ飲料の現況はどうなっているのかをちょっと調べてみました。
ガラナ飲料の現況(2017年現在):北海道の3大ガラナ飲料メーカー
- (株)小原(北海道亀田郡七飯町 1931年創立)商品名 「コアップガラナ」、
他カロリーオフ、カフェイン増量、各種色彩・デザイン瓶・缶 - (株)丸善市町(苫小牧市、1950年創業、後小樽市の「北海屋ガラナ」を継承)
商品名 「ガラナエール(HOKKAIYA)」他各種コラボブランド瓶・缶 - 北海道キリンビバレッジ(株)(札幌市、2003年完全子会社化)
商品名「キリンガラナ」、他に「ユーコーヒーウエシマ北海道ガラナ」、
「熊ガラナ」、「白熊ガラナ」、瓶・缶
他にもガラナ飲料を製造、販売している会社はありますが、上記3大メーカーのガラナ飲料が北海道の店舗や自動販売機で売られており、多くの瓶・缶には「北海道限定」の文字があります。ガラナは北の大地の雄大な自然や進取の精神あふれる北海道民の気性に合うのか、唯一北海道だけに定着しました。橋谷(株)の吉田支配人の予言が当たったようにも思います。正に北海道の「ソウルドリンク」と云えるでしょう。
私もコアップガラナを飲んでみたいものと思っていました。4月28日新橋の第一ホテルでの砂糖部OB会に出席した帰り道に八重洲地下街の北海道フーディストでコアップガラナ500ml瓶2本を買って、1本は宿泊先の江東区の娘の家で家内、娘、その夫、東大生の孫と共に爽やかな味を楽しみました。1本は西宮のわが家に持ち帰り、札幌時代を思い出しながら飲み、リフレッシュしました。
皆様も北海道旅行をされる時には是非とも爽やかなガラナの味をお楽しみください。
<参考>
- 1) 小原光一
- (株)小原の3代目社長、学卒後5年間同じ会社に勤務後家業を引き継ぐ。
- 2) 黛克己
- 東大卒、旧三井物産(株)入社、漢口支店(中国)、ボンベイ支店(インド)、砂糖部、GHQの指令による物産解体(1947.7月)後加商(株)を経て東京食品(株)入社、弟・黛治夫は海軍大佐、重巡「利根」艦長、別名「砲術艦長」レイテ沖海戦で栗田艦隊の一艦として出撃、連合艦隊の惨憺たる敗北の中で「利根」はめざましい戦果を挙げ、ボルネオ島ブルネイの基地に帰環、戦後BC級戦犯として香港で服役、後日本の捕鯨会社(極洋?)勤務、最新鋭の捕鯨銛を作成。私は黛克己さんの葬儀の時、西宮市の黛宅で治夫さんにお会いしたことがあります。なお黛治夫については、生出寿著「砲術艦長・黛治夫」光人社NF文庫があり、面白い読み物ですよ。
- 3) 真柳潔
- 北大卒、旧三井物産(株)入社、3ケ月後物産解体、北日本物産(株)を経て東京食品(株)入社、真柳夫人・瑠璃子氏は緑小・庁立小樽高女で私の姉と同期、小樽合唱協会・NHK札幌放送局合唱団所属(若い頃)、父・土井経夫氏は旧三井物産(株)小樽支店、北日本物産(株)常務、初代東京食品(株)札幌支店長、真柳氏は私の仕事と音楽の師、札幌市在住、93才です。