寺島伸二– Author –
寺島伸二
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歴史
栖原家と樺太(北蝦夷) その3
副島種臣外務卿の樺太買収策 維新政府は1868年(慶応四年九月八日)、明治と改元、首都を東京に移したが、一方幕府の脱走軍、榎本武揚らは箱館の五稜郭に籠り、独...寺島伸二 -
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栖原家と樺太(北蝦夷) その2
従来樺太の漁業はアニワ湾全部及び西海岸の南部が主でありましたが、ロシア人が頻りに樺太を窺うを以って幕府は其の奥地を開拓して、これに備えようとして、越後の人松...寺島伸二 -
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栖原家と樺太(北蝦夷)
栖原家が樺太に進出したのは、七代角兵衛信義の代である。1805(文化2年)信義は函館付近の上山村の未開発地開墾を願い出て、農民を募集して田畑を開墾し、杉苗...寺島伸二 -
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栖原家と北方領土 その2
徳川幕府が崩壊し、明治新世となってからも、断然実業界に重きをなし、明治五年開拓使より北海道産物為換取扱方並びに、仕入品用達を命ぜられ、また東京・大阪貸付会所...寺島伸二 -
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栖原家と北方領土
戦前まで日本領土であった樺太並びに択捉島について詳しいことは学校でも習わないし、教科書にも載ってなく、政府は北方領土の択捉までは日本固有の領土あるというのみ...寺島伸二 -
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現如上人(第22世法主)北海道巡教錦絵4枚目
落部村 一陽斎 豊國画 落部村と云は渡島の國なる茅部郡に在て 従函館十七里斗(ばかり) 常に昆布、にしん くさくさの魚また鹿熊なと取て 世わた...寺島伸二 -
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現如上人(第22世法王)北海道巡教錦絵)3枚目
雷電越の危難 一鮮斎 永濯 画 一立斎 廣重 (参:この人は東海道五十三...寺島伸二 -
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現如上人(第22世法王)北海道巡教錦絵)2枚目
元々、寺島家には、19枚全部そろっていましたが、現在はコピーしたもの4枚だけが残っており今回はそのうち、2枚目をUpさせて頂きます。(管理人) ...寺島伸二 -
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現如上人(第22世法主)北海道巡教錦絵
明治三年二月現如上人(大谷光瑩)は北海道開拓の朝命を賜り、北海道巡教の途に上がられた。即ちこの錦絵は上人が七月七日函館上陸後札幌へ往復せられ、新道の切り開き...寺島伸二 -
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小樽倉庫
寺島様は今迄のブログで寺島様の母方の曽祖父であられた松村幸右衛門やその松村幸右衛門の親戚の又十藤野家の記事等を数回にわたって、ご投稿いただきましたが、今回そ...寺島伸二 -
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北陸の北前船主を育てた豊郷町の又十藤野家 第3報
寺島様からお預かりした残りの写真をご披露させていただきます。尚、この藤野家の屋敷は、天保の飢饉の際、窮民救済のために建てられたものであること、又、我々が子供...寺島伸二 -
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北陸の北前船主を育てた豊郷町の又十藤野家 第2報
寺島伸二様より、藤野家屋敷の写真を頂きましたので、一部を掲載させていただきます。 尚、初代藤野喜兵衛の生涯について、ネットで調べましたので、併せてご覧ください...寺島伸二