志村英明 「俺の京都」

はじめに(帰り新参者のご挨拶)

六月初旬、京都黒谷「金戒光明寺」を何十年ぶりに訪ねた京都守護職松平容保率いる会津藩が幕末に陣所を置いた古刹であり、奥まった高台の木立の中に京都、大阪や戊辰戦争で殉職した多くの会津藩兵が眠っている。私はこの寺が昔から好きだ。汗ばむ陽気の中、木漏れ日の射す会津墓地には、心落着く「静寂」があった。

襤褸が出ないように、すかした文章はこのぐらいにしておく。さて、私は高校まで小樽で育ち、学生時代を京都で過ごした「帰り新参者」である。とはいっても40年の会社員生活を東京、新潟、仙台、札幌等関西とは無縁の世界で過ごしてきたので、昨年6月、大阪に赴任したとき自分は「全くの関西初心者」と思っていた。しかし、試みに年賀状だけの付き合いとなっていた学生時代の友人に連絡したところ、1週間後には10人の同期仲間が盛大な歓迎会を開いてくれた。この同期会はその後も定期的に続いている。勿論幹事は私だ。

また、当関西小樽会、関西潮陵会など、還暦を過ぎてノスタルジックな思考に向いつつある私にとって頗る魅力的な会からのお誘いもあるなど、今の私は「全くの関西初心者」ではなく「帰り新参者」で、中でも「帰り」の比重が高い心地よい心理情況にある。その心地よさをさらに深めるにはどうする…? そうだ京都・行こう!

 

 

「京都で学ぶ」

私は今、新聞広告で見つけた、「京(みやこ)カレッジ京都学講座」(全14回、土曜開講、これまで4回出席)に通っている。テーマは「京のまつりと賑わい」で、葵、祇園、時代の3大祭りのほか鞍馬の火祭り、おけらまいり等京のまつりの起源とその主体である町衆のエネルギーを神社の宮司、大学教授等が判り易く解説してくれる。学生時代に戻って講義を聴くのは楽しいが、驚くのは定員250人のクラスが満席であり、その中で還暦越えの私でもおそらく最年少グループに入るということだ。関西小樽会を含め、関西のお年寄は頗る元気だ。

午前中の講座のあと、午後は毎回センチメンタルジャーニーをしている。冒頭の話に戻るが、平安神宮からタクシーに乗って「黒谷・光明寺」と言ったら、しばらくして運転手が「最近どこへ行っても中国人ばかりや。金閣、二条城、清水等有名な派手なところしか行きよらへん。間違うても黒谷には中国人、いや観光客自体おらへんわ。しかし、黒谷…て?お客さん、ツウやね。渋いわ、渋すぎる!」と大変なお褒めの言葉をいただいた。本当は平安神宮から黒谷まで基本料金だけなのでイヤミを言われただけなのだが、まあいいか。

これまで講座のあと、比叡山、鞍馬山、上賀茂・下賀茂等を訪ねた。どこも学生時代に行っているが、20歳の感覚と60歳の感覚は違っていてどこも新鮮だ。(単に昔のことを忘れただけかも知れないが……)あと10回の講座の後どこへ行こうか考えるだけで楽しい。

 

 

「京都を思い出す」

先日、講座のあと学生時代に住んでいた界隈を散策してみて驚いた。昔住んでいた木造2階建てのアパートがそのまま残っていて、現在も住人がいるようだ。40年前でさえ仲間内では古い汚いアパートだといわれていたのにだ。推定築60年以上の木造店舗兼アパート(1階は食堂、八百屋等)は、看板の○○荘の名前もそのまま健在であり、2階の廊下など昔より綺麗に掃除されていた。毎月家賃を払いに行った隣の大家さん宅もそのままで、陳腐な表現だが、一瞬タイムスリップしたように感じた。このアパートは友達の溜り場になっていて皆で夜通し飲みかつ議論、いや駄弁ってばかりいた。議論の中で形勢が不利になると当時流行り(ロッキード事件)の「記憶にございません!」を連発していたことを記憶している。

学生時代、土日は暇があれば京都めぐりをしていた。最初は闇雲に定番コース(最近の中国人同様)を廻ったが、途中からテーマを決めて行くことにした。冒頭の黒谷・光明寺は「テーマ新撰組」だ。私は当時、「燃えよ剣」等で栗塚旭の土方歳三が大好きで、新撰組ゆかりの三条池田屋、壬生、油小路等を廻った中で新撰組最大のパトロン松平容保に行き着いたわけである。

新撰組といえば、天才剣士沖田総司より実戦では強かったといわれる2番隊隊長、永倉新八が晩年小樽に住み大正4年に死んでいる事実をこのころ知り、ついこの間まで生きてたのかと驚いた記憶がある。誰の著作か忘れたが、老境の永倉新八が電気館(映画館)から出てきたときに数人のごろつきに絡まれ、小突き回されそうになったとき、やおら杖を正眼に構え一睨みすると、ごろつきたちはその「気」に圧倒され逃げ散ったというエピソードはことのほか好きだ。どうも達人願望があるようだ。

 

 

「京都を再発見したい」

京都の魅力の一つはグルメだが、学生時代は「味より量」であり、学食以外では「王将」「珉珉」等の定食の記憶しかない。先日、羽振りのいい友人が京の隠れ家的割烹に連れて行ってくれた。昔の芸妓さんが自分で味を追求した上で開店した店とのことで、メニューの能書が長いのが玉に瑕だが、料理自体はどれも趣向が凝らされていて美味しかった。ことほどさように京都は古いものと新しいものが混在している。また、古いものから新しいものに変身していくこともあるようだ。学生時代より多少金回りがよくなった現在、しばらく京都通いを続けて、いろいろなジャンルの京都を再発見したいと思っている。「めざせ京都の達人!」

 

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 渋い
    新撰組と会津藩の松平容保さんが繋がるとは。
    最近、歴女と呼ばれる私としては見逃せない記事でした。
    ありがとうございましたm(_ _)m
    京都、行きたくなりました。

  • 私の知人にも、京都通がおりますが、京都は面白そうですね。
    又、お会いするときには、いろいろ聞かせてください。