「 時代もの 」

 昨年4月、京田辺市に転居した。整理した娘(東京在住)の部屋の書架にあった文庫本の中に私本太平記(全8巻)吉川英治作を私の本棚に並べ置いた。11月頃ようやく落ち着き、時間的に余裕ができたのでこの書を手に取り読み始めた。古代末期から中世に至る壮大な時代物! 足利・新田・北条の頃だ、読み手に分かりやすく興味深く作者が心して書き上げたためか、ついついかじりついていた。1月末現在4巻目の517頁中200頁まで進んだ。

 京都嵐山にある大覚寺(旧嵯峨天皇御所)を見学する機会があった(1月30日)、前週の大雪が残って風情がある京都北西部の嵐山嵯峨野の地へ、寒さ覚悟の特別拝観であった。
 僧侶の案内にて、歴史の深さと人智と自然を感じ取ることを教わった。重要文化財の文字が随所にあり数を尋ねても数えておりませんと…ジョーク 平安初期の建立にておよそ1200年の歴史。これが・あれが・言葉で言われても へ―あゝそうかと頷くだけであった。

 “時代もの”太平記は後世に世情を語り継ぐ「書物」であり、大覚寺もその歴史を「形」で継いでいる。したりかな!と自己満足の解であるが、時は留まることなく「今」は「過去」の流星になってしまう。現生、人の一生は80年、当時の40~50年の倍である。
 今日まで、「あなたは何を学び何を残しましたか」と…私の脳は問う。私は曠日(むなしく日を過ごす)の連続…と答える事かもしれません。                                     将来の「見えぬもの」を粘り強く追い求めその変化に対応する力を養う機を持ちたい。忍耐が求められますが。日々是好日の世界に、かけがえのない社会生活を送りたいと、自戒の念をしつつ…。2017-2-1

                   

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コメント一覧 (1件)

  • 神社、仏閣拝観の視点を教わった気がいたします。
    今まで私は京都、奈良のたくさんある大きな神社仏閣を見るたびに、医学、科学の未発達の昔、神社仏閣に民の安寧を求めるは分からぬでもないが、その数と大きさのゆえに、それだけの財を民の生活につぎ込む発想はなかったのかと…..