北大会館の生い立ち

今日は、小樽会、潮陵会、緑丘会、スペイン語教室のみなさまにご利用いただいている北大会館についてお話したいと思います。

この北大会館はよく賃貸と勘違いされますが、北海道大学関西同窓会が活動の拠点として、同窓会メンバーのいわばポケットマネーを集めて購入したものです。

活動拠点がほしいという話は1989年ごろからありましたが、実際に募金を集めると決まったのは1991年です。

この時第1回の募金活動があり、のべつ募金していたわけではなく2回目は1997年で、購入は200212月です。足掛け10年ですね。

この間に阪神淡路大震災があり、集まった募金の一部は被災した同窓生の見舞金に使われたそうです。リックを背負って神戸にいき、被災者を一人ずつ訪ね歩いて息災を確認して、見舞金を手渡したときいております。

2002年の時点で思ったようにお金が集まっていたわけではありませんがバブルがはじけ、物件が大幅に値下げになったことと募金してくださったおよそ250人ほどの先輩のうち何人かが鬼籍に入りこれ以上は引き伸ばしたくないという思いがあったようです。

藤田の同窓会参加は2002年からです。
ちょうど会館用の物件を探しているときでした。
男だけで決めるとよくないという理由で参加を求められ、それ以来会館運営に携わっています

購入の際、親睦団体である同窓会が不動産を持つといろいろややこしい法的問題が生じるので、「関西エルム会」という法人を立ち上げ、管理運営することとなりました。そして部屋自体には「北大会館」という名前をつけました。

その際、北海道大学関連で「北大会館」という名前の施設がない事も確認し意外に思いましたが、この名称に芸がなさ過ぎてということかもしれません。

また「ほくだい かいかん」と読むのは自明の事だと思っていましたが大阪の方は「きた おおさか かいかん」の略称と思うようです。関西での北大の知名度の問題ですね。

地方の北大同窓会には、たとえば「京都エルム会」のように同窓会自体の名称に「エルム会」を使うところも多いことから「関西同窓会」と「関西エルム会」を同一と思う同窓会メンバーもいて、自分が引き受けた役職が同窓会の役だと思っていたら会館運営のほうだったと、後から気付くという笑えない話も当初はありました。今、名称によるわかりにくさを解消するべく討議中です。

会館取得からかかわった藤田としては、もうちょっとよく考えて名称をつけるべきだったと反省しております。

そしてご存じのように、このような買い取りの部屋には管理費がかかりますが、大規模な商業ビルですので、普通のマンションの管理費に01個余分につきます。その経費を捻出するために会議室の貸し出しや、物販をしておりますのでいつも皆様にご利用いただき大変ありがたく感謝申し上げます。

物販に関しましては小樽の物産協会より小樽名産を取り寄せて販売しておりますのでどうぞ合わせてご利用くださいませ。

 

 

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 1:大阪駅からも近く、ネット環境も整備されており、大変便利ですね。
    2:同窓生がただ懇親を深めるだけなら、会場を借りるとか、飲食店を利用するとかが一般的だと思いますが、このようにポケットマネーを出して、購入をするとはその志の高さに敬服いたします。

    • 私が入会したころはすでに募金は終わってましたので、
      私も、ただただ先輩たちの恩恵にあずかっています。

      もっと広い部屋に買い替えてという声もありますが
      容易なことではありません。
      後々の同窓会にそういう機運が満ちてくれば
      可能かもしれません。